Bach-Gesellschaft-Orchester und Chor  Bachakademie

バッハ協会管弦楽団・合唱団 バッハアカデミー


独言随想 山田康弘



3月29日
 病院通いの一日。猫を5年ぶりに動物病院に連れて行く。膀胱炎。
 自分も何年振りかで接骨院に行く。登山で3時間以上だと左膝に痛みが出るようになってしまったのである。診察の結果、どこも悪くない、ただ痛いだけとのことで、痛みの原因になっている骨格のずれを直してもらうとその場で痛みが消える不思議。その代わり、根本的な原因である立ち方と歩き方の指導を徹底的にされた。

3月26日
 コンサートではないが告知の要請があったので載せておきたい。
 3月31日(日)10:30-12:00 聖学院教会(聖学院大学チャペル)イースター礼拝にて下記曲目を演奏します。(進行により一部カットする場合もあり)
 J.S.バッハ:キリストは死の縄目につながれたりBWV625
 J.S.バッハ:キリストは甦りたまえりBWV627
 J.S.バッハ:キリストは今日 神の子は勝利の凱旋をなしたもうBWV630
 C.フランク:変ホ調の小品 Op.16
 どなたでもお越しください。
 牧師と同夫人も専門家級にオルガンを弾きますが、この日は私のみの演奏です。

3月20日
 ハンマークラヴィーアも終り、大事なことをシェアする気になった。
 花粉症の点鼻薬、〇〇ゾンをお探しください。例えば自分が使用している薬の場合、ベクロメタゾンプロピオン酸エステルと表記されている。知人にも勧めたところ、大変良く効いたとのことで、更に輪が広がっていると云う。〇〇ゾリンと云うのは血管収縮剤なので、その場しのぎの感がある。ゾンの方は、体内に吸収され難いステロイドが含まれるので、緑内障等、服用してはいけないケースもあるらしい。

3月18日
 ハンマークラヴィーア・ソナタのプログラムを作っていて、印象的だったお二方の言葉。
 「このソナタで、神ならざるひとりの人間が人生のすべての業を、艱難、不正、歓喜、天国の慰め、勇気、現世と彼岸、肉体と精神の間の分裂、想像し得るものと想像を絶したものとの双方への関与などを、われわれの理解に供するために提出するのではなく、それらを一個の精神的創造物のかたちに表現し、純化してみせたのである」(エトヴィン・フィッシャー)
 この曲を弟子のフェルディナント・リースが出版する時に、ベートーヴェンから第3楽章の最初にA-Cisの2つの音符を加えるようにとの指示があった。以下、リースの回想。「正直に言って、先生は頭がどうかしたのではないかと疑った。これほどまでに徹底的に考え抜かれ、半年も前に完成している大作に、たった2つの音符を送って来るとは。…しかし、この音符がどれほどの効果をもたらすかを知った時、私はさらに増して驚嘆した。」

3月13日
 口から出まかせ言う人が居る。多分、考えたり感じたりする以前に口が動いているのだと思う。このタイプに仕事を頼んでも、「いいですよー」と愛想よく返事されるものの、その日に来なかったりするので、あてにならない。何の悪気もないのだろうとは思う。
 芝居と云う言葉にはどこかしら嘘が含まれているようで好きでない。いつも感動的な弁舌をする方に嘘があることが分かって白けてしまったことがある。芝居気たっぷりの演奏と云うのも似たところがあろう。オペラならまだしも、マタイ受難曲に芝居と云う言葉は最もそぐわないのではないか。

3月11日
 天気等鑑みて、家内が仕事で車を使っている時には、一人で電車で行けるところに通っている。
 東吾野から橋本山を経てユガテと云う山上集落へ。何より名前が古代語っぽくて神秘的である。山中なのに明るく開けた農村で、畑も綺麗に手入れされて人が住んでいる気配はあるものの、誰にも会わなかった。
 5時間くらいひたすら杉林の中を歩いて幾つかのピークに登ったが、どこも眺望は悪かった。最後に料理上手のご婦人が一人で切り盛りしているイタリアンレストラン(と言ってもチャーハンやカレーライスもある)に行き、ここからの眺望が丹沢、富士山、秩父の山々が一望できる素晴らしいもので、今日最高であった。

3月4日
 陣馬山に向かう道すがら、「じんばやまにはたぬきがおってさ」が頭の中で回り始め、熊本の歌だから違うよな、と思いながらも正確な言葉を思い出せなかった。家内が一緒であれば訊けたものを。

3月2日
 今朝まで結構な強風が続いた。26日、27日の旅行中も1日目の登山は強風で躊躇われた。2日目の予報を見ると前日より強いと云う。登山口で決めようと行ってみると不思議と風がない。どうも南斜面の樹林帯は全くと言っていいほど風がないらしい。稜線に出ると北風に晒されたが、吹き飛ばされるという程ではなかった。これまでに恐ろしいまでの強風に会ったのは足尾アルプスと八条富士で、いずれも二本足で立っていることは難しく、登頂を諦め撤退している。特に後者は、太平洋のど真ん中に突出した地点で木が無い吹き曝しであるから岩にしがみついている他なく、生命の危険を感じた。

2月23日
 リリア長期閉館のため、私物のティンパをリリア倉庫から運び出さねばならず、先日の本番後に一つ、今日の練習後により大きい方を運んだ。実家の仏間に置かせてもらうことになり、1個目は難なく運び込めたものの、2個目はドアを外したり斜めにしてみたり、困難を極めた。日本家屋は90pモジュールなのでギリギリなのである。また運び出す時には経路を考え直さなければならない。

2月20日
 下仁田のれすとらんヒロの串カツは心に沁みた。下仁田ねぎの甘みが増し、赤城ポークの旨味と相俟って絶妙である。
 先週、上野村で買ったごまかりんとうも素晴らしい。国産小麦粉、なたね油、ゴマ、卵、砂糖、塩、膨張剤と云うシンプルな材料で、かりんとうと云うより初めて食べるドーナツと云った感がする。家人も生産者今井重子さんを絶賛している。

2月15日
 ロ短調ミサの翌日は雪中行軍していた。有名な山だと毎日のように誰かが登ってはネットに写真付きのリポートを載せるので様子が分かるが、誰も行かないような山だと行ってみなければ分からない。1200m峰にしては雪が残っていたので、初級と思っていた山が中級くらいとなった。帰りに初めての場所、小越の冷水で水を汲み、ここも美味しい気がする。石灰質を通した湧水は良いと言われていて、この周辺が石灰の産地であるから関係があるのかも知れない。
 石灰と云うと複雑な思いとなる。周知のように武甲山は数十年で人工のピラミッドのごとき山容に成り果て、水を汲んだところの至近にある叶山は、上部が無残に削られている。やがては好きな二子山もその運命にあろう。かと言ってコンクリートの恩恵を拒むこともできない。

2月6日
 合唱団で、今週は山に行かないでください、と釘を刺されていたし、雪も降ったので「雪かき」を運動として代えることにした。うちの庭と云うか駐車スペースに小さな雪だるまがあった。ピアノに来た子が作ったのであろうか。雪は割とベチャベチャの状態で、凍結さえしなければ早くなくなるのではないか。

2月3日
 上手い歌手は誰か、と云う次男の問いに、真っ先に浮かぶディースカウの名を挙げた。直ぐにスマホでディースカウの歌う魔王を聴いていた。ご丁寧に日本語の字幕つき。正反対のタイプのパヴァロッティも挙げると、スマホで「誰も寝てはならぬ」を聴いていた。ドイツ系で色気ぷんぷんと云えばヴンダーリヒ。シューベルトのセレナーデを生真面目なシュライアーと聴き比べしていた。

1月28日
 リリアに行く時に通り過ぎていた花屋がセンス良さげで、今日初めて立ち寄り、リースの制作を注文した。「素敵にお作りしておきます」とのこと。戸田、野の花屋。

1月24日
 家内がAkomeyaでお年賀用に買ったお菓子が、ゴマとチョコを固めた美味しいものであったので、製造元を訪ねた。昨日登った山にも近い安中市。件の菓子は無く、全てがマーガリンとショートニング満載で食べられるものはなかった。山で知り合ったパティシエの店を訪ねた時も同様でがっかりした。素晴らしかったのは、六日町のことう位か。

1月20日
 昨日から左目が充血していてそのうち治るだろうと思っていたら、夜中、目が痛くなってあまり眠れなかった。これは不味いかも知れないと、大昔行ったことのある眼科を調べると、大宮かどまちと云う巨大施設の中に移転していた。目の方は結局単なる炎症と云うことで大過なかったが、大宮かどまちの惨状には目を瞠った。モダンな黒やグレーを基調とした内装が真新しいゴースタウンと云った趣を益々濃くしていた。兎に角、出店が少なく、人もまばらでガランとしている。わざわざ足を運びたくないところだ。

1月16日
 妻と外食した折、出された食器が以前から求めていたものに近かったらしく、お店の方にどこの器か訊き出して、作家さんに直接電話していた。生憎、外出先とのことで、また来た時に購入することになるのかと思う。優しい料理やケーキが美味しい店であった。Cafe Tao。

1月12日
 今度ピアノを弾く席では、馴染みの方がそのピアノを亡くなる数日前に弾いておられたので、その曲をプログラムに入れている。追悼の意味もあるが、考えてみると自分の演奏の殆どは亡くなった方との交流であって、幾分かは追悼や哀悼の意味も含まれていると思う。それでも、生きている人とのように共感共振しているので、しんみりとお弔いするのともまた違う。

1月6日
 年頭登山は、良い名前から王城山。その2日後に先述の浦和の山岳会からお誘いがあり、天目山。またも山頂で豪勢な汁物料理を頂いてしまった。大人数で登ったのは筑波山以来か。高崎まで電車、そこからバスで榛名山まで行けるのには驚いた。路線バスなのに、途中でトイレ休憩がある。

2024年

12月27日
 今年の演奏を終えたので、夫婦で忘年登山の山として軽井沢近くの御場山を選んだ。近場をと思って選んだが、昔は軽井沢と云えば泊りがけで旅行に行くものとばかり思っていたものである。地味な山で、誰一人会うことはあるまいと思っていたら下山中に一人の方が登って来るのに遭遇した。この方が10月に新潟の山中でお会いした方と分かった時には全く驚いた。確率的に有り得ないことである。山中で誰かに会った場合、勿論挨拶はするが、名乗ることはまず無い。今日ばかりは名前や連絡先を交換した。この方には新潟の山の上で刺身を振る舞っていただいた。浦和で山岳会を主宰されているそうである。

12月20日
 フルマラソンの疲れもあったのであろう、長男一人がインフルで会社を休んでいる。「世に言う感染症対策、マスク、うがい、手洗いなどしているから病気になるんだ」と言うと苦笑していたが。
 コロナになった時と全く同じように発熱外来に連れて行くと相変わらず外のプレハブで検査や診察を行っていて、外で待たせたりしている。病人を寒い屋外でフラフラさせてどうするのかと思う。

12月15日
 次男が「好きな作曲家は?」と訊くも、古典の神がかった人たちをどこどこのバンドが好きと云うような気楽さで言うことができないので「フォーレ」と答えたのが大層意外であったらしい。直ぐに彼のスマホからはフォーレのレクイエムが流れた。「それも中期の傑作だけれども、人生最後の究極的な作品はノクターン13番」と言うとまた間髪入れずその音が流れた。彼にとっても随分衝撃的だったようである。翌日になってもそのことを言っていた。

12月14日
 突発的なことはよく続けて起きるもので、病院を行き来している。そんな中、パソコンを開いていると、前々から「2024年からWindowsメールはOutlookになります」」と云う表示が出てきていて、そのまま移行されるのだろうと思っていたら、今日いきなり切り替わり、POPからIMAPにこれまでのアドレスで移れないものだから慌てた。仕事上、来たメールが見れないでは困るのである。取り敢えずフリーのメールソフトを入れてメールが見れるようにはなった。全く嫌になってしまう。

12月5日
 高速を使わないチャレンジは続き、主に17号と254号線を使って下仁田まで2時間半で行けた。春以来となるれすとらんヒロでのランチを堪能、下仁田ねぎにはまだ早いとのことであったが、斜向かいの八百屋にて初物を購入、金剛萱の良い水を汲み、更には一千にて刺身と干物をも買い込んだ。この魚屋のものはよく厳選されていて必ず美味しい。魚嫌いが言うのであるから確かである。それにしても店の水槽にクマノミ等の熱帯魚が泳いでいるとは。生簀に食べる魚が入っているのならともかく。

11月30日
 小鹿野町の毘沙門水で初めて湧水を汲んだ。地元の方により蛇口沢山、車が何台分か横付けできるように整備され、\100以上の協力金を箱に入れることになっていた。湧水ももう50か所くらいで汲んでいて、大抵どこも美味しいが、ここはとりわけ良いように感じた。勿論、NGだったところも存在する。一口含んで、こりゃ駄目だ、と止めたところ、汲んでいるうちに濁りが出てきてしまったところがあった。
 昔、ときがわの大野直売所で買った味噌が最も美味しいと思っていた。それから20年以上も経過し、作り手も変わってしまっただろうと思って買わないでいたが、先週買った味噌がやはり美味しい。何としたことであろう。

11月26日
 クリスマス・コンサートのための準備を始める。毎年ほぼ同じ曲目であるが、イタリア協奏曲は自分の指にとっての定点観測となっている。去年までできなかった部分が弾けるようになっているところが毎年増えている。それが本番のような緊張状態で実現するかどうかは別問題であるが。
 C.Ph.E.バッハのクラヴィコードのためのソナタは、毎年新しい曲である。今年は手稿譜によるソナタ集の第1巻の1曲目になる。あとどのくらい演奏が続けられるのか分からないが、全5巻を弾くことは到底無いと思うと複雑な気分である。

11月24日
 25日(土)と26日(日)いずれも11:00-16:00バッハアカデミーの手芸カフェ作品展にてケーキセット\600を提供します。(私がコーヒー担当)どなたでもお越しください。
 12月24日(日)18:00-19:00聖学院教会(チャペルは聖学院大学内)のクリスマス・イヴ礼拝の中で完成したパイプオルガンの全部の音を使ってレーガーの「クリスマス」を演奏します。こちらもどなたでもお越しください。

11月21日
 先述のように一般道で群馬に行くことを覚え、今日も高速を使わず、1時間45分で渋川に着いた。尤も、どの道でもこれができる訳ではない。上武道路等のように極めて信号が少ないバイパス道でないと無理である。それにしても運転約6時間と登山2時間半ではバランスが如何かと思う。

11月19日
 知人が非常に稀な癌で亡くなった。その直前まであちこちの食べ歩き、好きなフランスにまでご夫婦で旅行されていたので、案外お元気なのではと思っていたが、終活の一環だったのであろう。極めつけはお葬式までプロデュースされていたことで、還暦祝いに赤い振袖を着て撮影した写真が飾られ(本当は等身大のを作る予定であったと云う)、返礼品に塩の効いたポップコーンが配られたとのことである。popミュージックの方だったので。

11月11日
 聖学院に行く途中、裏道の住宅地に古くからあるらしい定食屋を訪ねた。12時前なのにほぼ満席、日替わり定食は回鍋肉、\750の安さであった。店名は大松。こうした店を知れるのもネットの恩恵である。

11月7日
 鈴を鳴らしているせいか、登山中に生き物に出会うことは稀である。大抵はこちらを避けてくれているものと思われる。400以上の山に登っているが、今日、初めて猿に出会った。道や町でなら多数見かけているが、登山道で会ったのは初めてである。こちらを威嚇する風でもなかったので、写真や動画を撮ることもできた。今、話題沸騰中の熊さんはお出ましにならなかった。道を観察するに、どんぐりや栗の実が沢山落ちていたので、それらを食べる熊は少ないのかと思った。山によっては熊だか猿だかが一つ残らず食べて栗のイガのみが残っている。

11月4日
 9月14日の記述のように感染爆発、或いは体調不良が続出する事態となっている。コロナがと云うよりは免疫力を落とすことでインフルその他あらゆる感染症に罹りやすくなっているようである。ワクチン接種した人は勿論、非接種者も巻き込んだ格好であるが、私自身は軽く罹ったほうが免疫のためには良いと思っている。そのためにわざわざ満員電車に乗ったりしているのは稀有だと言われる。

11月1日
 家内が大学祭にて件のオルガンを弾きますので、どなたでもお越しください。3回とも同一のプログラムです。大学HP
                      

10月29日
 聖学院のオルガンは、未だ4分の1程度しか出来ていないにも拘わらず、基本的な音は揃っているので、完成予想をイメージすることができる。基本的には柔らかいマイルドな音と云うことができ、それは自分の好みで、キンキンした響きでないところが良い。あとは三段目の鍵盤とリード管がどのようになるのか期待しかない。
 整音の段階で珍しく私の意見が通って、足鍵盤の低音を弱くしてもらった。演奏台のところで聴いただけでは判断できないので、家内が弾くのを会場後方などで聴いてみて、強すぎると判断したのである。
 昨日の記念式典、音楽会の様子はYouTubeで観ることができる。ライブ配信の内容そのままで後から編集していないので変なところがあるが、ご興味ある方はご覧いただきたい。ブログにも掲載。

10月24日
 今日、最も驚いたのは国道17号。群馬県の渋川で食事し、高速を使わず、17号1本で自宅まで2時間ちょっとで帰り着いてしまったのである。今まで新潟などで高速を使ってから17号を通ることはあっても、家からつながっていると云う意識はなかった。どこまで通じているのか改めて地図を見てみると、苗場スキー場の前を通って、六日町、十日町、小出、長岡等を経て新潟市までのようで、殆ど本州を縦断するに等しい。そして一般道であっても、地方は信号も交通量も少ないのでかなり速く走れるのである。

10月22日
 製作途中のオルガンを初めて礼拝で弾く。やってみないと分からないことが沢山あった。歌とどの程度のバランスになるのか、下にはオルガンがどう聴こえているのか等。それから下の様子、式の進行などを察知するのに鏡を置いてみたが、隔てる壁が高すぎて殆ど用をなさなかった。また、マイクを通した人の声が殆ど聞き取れず、緊張した。

10月20日
 先日の本番は、一音も奏することなく、ご挨拶したのみ。こんな楽なことはないのに、えらく好評で、気をよくしたまま新潟へ。2時に起きて行くと高速がとても安くなる。越後三山の最後、越後駒ヶ岳を9時間半かけて往復。帰途、塩沢石打のPAで食べる南魚沼のご飯と生姜焼きは、今年最後かと思われる。

10月15日
 オルガンを弾く人のためのレクチャー。未だ4分の1も出来ていないオルガンを稼働させなければならないのは、成り行き上仕方がない。もう来週、公開の演奏を行う予定である。出来ている部分から判断して、私が今まで出会ったベストの楽器である。会場の響きの良さも相俟って、柔らかく上品で、音の厚みが増せば相当な迫力が出せるものと思われる。
 拙宅のピアノも名器と思っているが、私の演奏もあと3回で終わる。今後はこの楽器の特性をよく生かしてくれる演奏家に後を託していかなければならない。

10月11日
 家内は刑事みたいなところがあって、人の顔から服装まで瞬時にチェックして記憶している。自分などは顔は見るものの、服装など殆ど無頓着である。登山中もすれ違った人の頭から足の先までをよく観察しているので感心する。
 菓子職人でもあるので、その方面もうるさい。昨日訪れたところでも、「店の人はバターと言っていたけどマーガリンだ」とか「生クリームは植物性」とか指摘する。その意味でも下仁田のれすとらんヒロは本物志向だったね、と思い返している。

10月10日
 今では全く覚えていない、何かの症状が長引いていた或る秋、これは医者に行っておいた方がよいかと思い、診察を受けた後、帰宅すると家族が「パパ死んじゃうんだ」と言って泣いていた。それほど医療を忌み嫌い、家族も承知していたと云うことである。

10月6日
 我が家では、大型家電を買う=パパの登山靴が買えるかも知れない、と云う公式が通用している。つまり、ヨドバシカメラと登山用品の石井スポーツのポイントカードが共通なのである。丁度、色々なものが老朽化し、買い替えを余儀なくされている。明日は洗濯機が届く。

9月27日
 今市のパロットは料理が美味しいのは勿論、ウエイターさんの接客が天才的に素晴らしい。どんなお客さん相手でも出しゃばらず、自然に雑談できるのは天賦の才としか言いようがない。雑談力と云うのは私も無い方であるが、特に男性では全く無い人も多い。仕事はできるけれども、人とのコミュニケーションはまるで駄目と云うような。

9月24日
 カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ全集の最後のクラヴィーア・ソナタ集が、発注してから10か月を経て到着した。彼のソナタは、どこを取ってみても自分にとっての宝である。幾つあるのかも知らなかったが、改めて数えてみると150以上であった。まとまった楽譜を購入するのは今回が最後になると思う。

9月23日
 グーグルマップの経路案内で驚くような結果が出たので、高速道路のNEXCO東日本にメールで問い合わせをしていた。その経路とは具体的には次の通りである。
 目的地は土樽PA(上り)近くの駐車場。下り線で土樽を通過、湯沢インターの料金所手前のターン路で上り線に移る、土樽PAから外に出て駐車場に行く(公式な出入口は存在しないので、自分でゲートか何かを開閉するらしい)と云うもの。
 この回答には時間をいただきます、とのメールがあってから、かなり経って頂戴した回答が以下の通り。
 湯沢インターの料金所手前のUターン路は、管理車両や路線バスのためのもので一般の方は利用できません。PAは高速を使う方が休憩するところで、外から出入りすることはご遠慮ください。
 これが当たり前のことと思うが、グーグルマップはどうしてしまったのであろう。

9月21日
 驚いたことその2。民宿樹湖里(きこり)の夕食は、山菜、川魚を中心としたもの(ご飯は勿論、魚沼産コシヒカリ)でどれも美味、特にマスとイワナを掛け合わせたものの刺身はサーモンのようで絶品であった。夕食後は8時までには就寝、翌朝4時に古風なマイクロバスで出発、15qほど湖畔を走ってからゲートを開き、相当悪路の林道に進入、更に15qで登山口に着いた。尻が浮くほどの悪路と聞いていた割にはぐうぐう寝てしまったのは、ひとえに宿のご主人の運転が巧みだったからである。5:30、ここから所謂「皇太子ルート」を往復7時間のタイムリミットを気にしながら登る。(因みに反対側の一般的なルートはおよそ2倍かかる)ご主人は本でも読みながら駐車場でひたすら待っていてくださる。帰りはリミットよりは早く、13:30頃宿に着いて解散となった。この送迎、往復約60q、3時間、待機7時間で料金が3000円ちょっととは申し訳ないくらいである。

9月20日
 連休を利用しての平ヶ岳登山。色々と驚くことがあった。
 その1。宿泊地の銀山平温泉へは山道を通らず、奥只見シルバーラインと云う殆どトンネルの道路を通った方が早い。このトンネルが壁面がゴツゴツした岩であったり、外で雨が降るとトンネル内部が霧に覆われるとか、銀山平へはトンネル内で急に右折するとか驚きの連続であった。同宿の3組のうち、右折するところを見失い、終点まで行ってしまったのが1組、一寸通り過ぎてからトンネル内をバックしたのが2組、私たちは後者であった。(トンネル内はナビも表示されなくなる)
 そのうちに行きたいと思っている山の登山口が、このトンネルの中程の避難口(?)のシャッターを手動で開けてトンネルの外に出て、駐車するところと聞いていて、その場所も確認してきた。

9月16日
 わざわざ東松山からピアノの先生が生徒さんたちを引き連れて来てくださった。バッハなどの曲をチェンバロで弾いてみるためで、ついでにパイプオルガンも弾いて大興奮であったようである。喜んでいただけたようならとても嬉しい。

9月14日
 もうすぐもう何回目か分からないワクチン接種が始まるらしい。こんなことを繰り返しているのは日本だけである。それから約1か月後に感染爆発が起きる事を予言しておきたい。これまで漏れなく起こっている事象だからで、本当は予言でも何でもない。何度も述べているように免疫力を落とし、却って感染しやすくなり、更には帯状疱疹を始めとするあらゆる病気が発症しやすくなる。

9月7日
 聖学院のオルガンが形になり、威容と云っても過言でない姿である。今日見に行くと足鍵盤の接続まで終り、整音作業に入っていた。まるで現代音楽の演奏である。

8月31日
 山を周回する場合、多かれ少なかれ馬蹄形に近い形になるものであるが、馬蹄形縦走と云えば専ら谷川岳から(または反対周りに白毛門から)のを指すのは面白い。7月は3分の1程の行程で悪天候のため撤退したので、今回は残りの縦走を目論んだ。いきなりその地点から始めることはできないので、先ず土合駅に車を止め、有名な地下深くのホームから上越線に乗り、土樽駅で降りて歩き始めた。無人駅であったので車内で料金を払おうとしていたのに、車掌に素通りされ、結局無料となった。無料と云えば泊まった避難小屋も無料で予約不要。故にどのようなものか想像がつくと思うが、存外良く眠れて、9時間も寝てしまった。

8月23日
 巻機山を下りてから六日町の「ことう」を訪ねた。丁度1年前に八海山で知り合った社長さんのお店で、良い材料で美味しく作られているので再訪したのである。菓子では兎に角、マーガリンやショートニングを使って利益を上げようとする会社や店が多い中、こうしたお店は貴重である。
 それから八海山の麓まで行き、「雷電様の水」と呼ばれる水場で湧水を汲んだ。この水が水道水源にもなっているそうなので、この地の水道水もかなり美味しい筈であるが、ひっきりなしに地元の方が汲みに来るのには驚いた。汲むところも複数あるので、人を待たせる気兼ねもない。(リンク中、ストーリームービーの語りが如何にもこの地方らしくて良いと思った)

8月21日
 年配者の歌のサークルで伴奏を受け持っている。毎回、自分が歌いたい懐かしい曲をリクエストし、皆で歌うコーナーがあるが、年齢層によっては全然聴いたこともない歌があり、面白いものだと思う。自分が小学生の時に皆で歌った歌を思い出してみると、「巨人の星」がある。あの短調の軍歌のような。歌とは関係ないが、あの結末は感動的であった。中学生の頃は、「宇宙戦艦ヤマト」であった。(そう云えばこれも短調の)
 所謂歌謡曲で好きだったのは、「瀬戸の花嫁」。子供が聴いても、瀬戸内海に行ったことがなくても、歌のどの部分からも情景が目に浮かぶ、抒情的な歌であった。
 最近、知人が歌っているのを聴いて思い出したのが「いい日旅立ち」。(サビが、ああ日本のどこかに、私を待っている人がいる)歌詞とは裏腹な暗さが何とも言えない。歌っていた山口百恵のキャラのせいもあるのか知らん。

8月17日
 ベートーヴェンの告別ソナタを今度弾くことになっている。「告別」と云う邦訳は如何かと思う。現代では「告別」と云えば「告別式」で使われるのみである。「別れ」くらいの軽さでよいのではないかと思われる。第1楽章はLebe wohl(お元気で、古風な表現ではお達者で)にミレドを当てた主題による楽曲、第2楽章は友不在の寂しさ、第3楽章は再会の喜びを表している。従って、永遠に会うことのできない別れではない。

8月11日
 ビックリスルホドモロターの尾身会長が不正に詐取した311億円は返却されたと聞かない。彼がもう一儲けと思って提唱したコロナ第9波はいまいち浸透せず、先日泊まったホテル並みに大きい常念小屋でも、従業員(厨房を除く)、お客ともに誰一人マスクをしている者は居なかった。酷暑の中でもマスクを外さない人たちは、外国から見れば「コロナを終わらせたくない人」と見做されていることを知らないのであろうか。

8月10日
 当地では石井スポーツとヨドバシカメラが一体化していて、双方のポイントが使えるようになっている。今日、ドライヤーを買いに行くと、最近、家内の登山靴を新調した時のポイントがたまっていて、ただで貰うことになった。
 それにしても、登山用品の店は辛うじて夫婦で買い物をすることができるが、他の雑貨や服の店では私がどうしても耐えられない。山では何時間でも立っていられるのに、ショッピングモールでは座って待つ場所を探してしまう。今日も鰻重くらい待っていた。

8月9日
 初めての北アルプスはガスの中で、まるで「北岳、来ただけ」の言葉のよう、「これでは下仁田の山を登っているのと変わらないね」と話していた。翌日、縦走している間に晴れ間が出ることもあって、槍ヶ岳をはじめとする北アルプスの主峰群を眺めることができたのは幸いであったが、肝心の登った常念岳がどんな山であったのかよく分からず仕舞いであった。それなのに言う資格は無いかもしれないが、新潟、会津、群馬等にもアルプスに匹敵するような山が幾らでもあるように思う。多くの人に知られることのない名山は存在するのである。

8月2日
 コロナワクチンの接種が始まってから1か月くらい経つと決まって感染爆発が起きる。当然である。感染予防とは全く逆の感染促進効果しかないのであるから。接種直後に自己免疫疾患を防ぐため、わざと免疫機能を落とす働きがあることも公に公表されている。その1,2週間の間にコロナを含むあらゆる感染症に罹りやすくなるのであろう。ウィルスと云うものは、人間の体内で絶えず変異する。そうして新たに培養されたものがばら撒かれることになる。この秋にも成人の接種を行うということであるから、再び感染爆発が起きるであろうことを予想している。何しろ6回も同じことを繰り返しているのであるから、相関関係があると言わざるを得ないのである。

7月30日
 自宅から至近での花火大会がコロナ以来初めて開催された。ファイザーのワクチン2回目接種後、ずっと体調が悪く、丁度2年前に亡くなった父は、これが好きで、更に間近まで歩いて行って観ていた。今日、母は遺影を外に持ち出して花火を見せていたが、こうした発想は自分には無かった。

7月28日
 朝はあまり食べない。コーヒーに合う甘いものでも少しつまむ程度である。先日、早朝からの谷川馬蹄形縦走でも殆ど空腹状態で臨み、途中で菓子類を齧るくらいで、夕方、山小屋に到着した。夕食のカレーライスは、流石に大盛りをお願いしたが、沢山食べる人だと思われたらしく、翌朝4時の朝食時、大盛りにしておきました、と言われ少々閉口した。

7月26日
 次男は、愛用のエレキギターを「俺の魂」だと言う。音楽に魂が宿るかも知れないが、楽器はそれを表現する道具であって、魂であるとは考えたことがなかった。しかし、このところ楽器の製作に関わっていると、職人がその作品に魂を込めようとしているような気もしてきた。

7月14日
 気温が40℃近くになろうともマスクを外そうとしない人たちを見るにつけ、もうこの国は終わった、と深い絶望感に苛まれている。精神論ではなく、科学的知見で言っているのである。

7月12日
 山で汲んだ水が持ち帰れない場合は、大体、車で行ける堂平山中腹にまで行って汲んでいる。その少し上にできたカフェが気になっていて、初めて訪れた。一帯の総称、精神と時の森。建物から何から全てオーナーの手作りで、これから益々拡張していく様である。水をどこで汲んでいるのか尋ねると、標高700mのところで岩から染み出ているのをパイプで引いているそうで、天然水¥0として売って(?)もいるそうである。

7月10日
 谷川岳のロープウェイから登るルートは、人が一杯で決して行きたくない。歩いて登るルートを取ったとしても、山頂までの僅かな合流区間は我慢しなければならない。二つの山頂を越えてしまうとめっきり人の姿は無くなる。「ノゾキ」と云う場所からは悪名高き一ノ倉沢の恐ろしさを垣間見て戦慄した。標高とは関係なく、この険しい岩場であったら沢山の人が死ぬ訳だと納得した。この場所に一般登山道は無く、自分が足を踏み入れることはないであろう。

7月8日
 谷川岳ベースプラザの駐車場の車内で北アルプスの山小屋に何度となく電話していた。予約開始の日にちと時間が決まっていたからである。つながるまでかなりの時間がかかって、登山開始が遅くなってしまった。ロープウェイを使うことを潔しとしなくて、未知の巌剛新道を登り、予想以上の暑さで消耗し、余計に時間がかかった。肩の小屋で買った500円のポカリで生き返る気がした。
 飲み物と言えば、9時間くらいかかって漸く着いた蓬ヒュッテでは、明日に備えて水を汲んできたほうがよい、もうひと頑張りで、と言われ、小屋から往復30分かかる水場まで下って行った。それは美味しい岩清水だったが。

7月3日
 バッハアカデミーの定期演奏会。プログラム (一応、公開の演奏会となるので、出演者名のマスキングとかは行っていない。)39年目とは早いものだ。

6月27日
 一連の演奏を終えたので新潟の山に行こうとしたところ、天気予報が芳しくなく、南方のほうがましと云うことで富士山近くの三ツ峠山に行った。そこから河口湖畔に向けて幾つかの山々を縦走し、最後は天上山に達した。ここのロープウェイ駅周辺は、「いっきに俗な観光地で長居は無用だ、さっさと通過するに限る」とガイドブックの著者である長沢さんが仰る通りであり、更には100パーセントが外国人であることに或る種のショックを受けた。河口湖畔も忍野八海も似たり寄ったりの状態であり、近い将来、日本全体がこのようになっていくのかと云う危惧を拭えない。個人的には親しい外国人も多いし、消費者としては有難い存在であるが、やがては乗っ取りや占領状態になるのではないかと云う心配である。

6月22日
 先日訪れた箱島の湧水は凄まじかった。湧水と云うと筒から流れ出ているのが一般的であるが、ここは杉の大木の根元から轟音とともに湧出しているのである。直ぐに川のようになっていて、そこから汲み上げることになる。更に下流では水力発電されているようであるから、水量の多さがお分かりいただけると思う。一説によると榛名湖の伏流水だそうで、それにしても不可思議なものを見た。

6月21日
 不飽和脂肪酸の摂取をできるだけ避け、マーガリン、ショートニングの表示があるものは食べないようにしてきた。どうも植物油脂と書かれたものにもそれらが含まれるようで、そうなるとスーパーのお菓子類など全滅である。先日、デパ地下に行った折り、比較的高い部類のお菓子を見て廻ったが、どう見ても贈答用で、自宅用に買う感じではない。結果として甘いものの摂取が減ることになり、これはこれで良いのかも知れない。

6月13日
 ずっと天気予報を注視し続け、今朝3時半にも最新のをチェック、どうも芳しくないので遠出の山行は取り止めにした。ところが夜が明けて時間を経るごとに好天となり、恨めしく思った。その代わり、近場で食事と水汲みをすることにした。
 お昼も過ぎたので、先ずはランチ、第一候補としていた店が休みだったので、次なるお店に。ここも良いところで鱈腹頂いた。水汲みは、グーグルマップにも載っている石小土の清水。20年ぶりとなるが、相変わらず美味しい水である。
 この近くに昔はなかったカフェがあり、非常にそそられるものがあったが、あまりに満腹状態だったため寄らなかった。一体、この通りには何軒ものカフェが点在し、どれも美味しそうである。水が美味しい地域であるから、多分そうなのであろう。

6月10日
 オルガンの大きなパイプを設置する場面に遭遇した。オルガンの製作過程でもなかなか見ることができないものである。動画

6月7日
 下山後、単調な林道を延々歩くことはなかなか辛い。裏男体、志津林道がわれわれ夫婦にとっては印象の強いところである。男体山の下山後には三本松バス停まで約8q歩行し、歩きながら寝てしまいかねない状況であった。これに懲りて大真名子山、小真名子山の時は志津峠まで折り畳み自転車を持参、それでもそこまでの林道が約8q、ヘトヘトになった。今回の女峰山では同林道8qと駐車場までの5qで、前者はそれなりの覚悟をもって臨み、後者は自転車で駆け下り、以前よりは楽な気がした。
 あまりにも単調で見るべきものもない林道では1秒ずつ数を数えていることがある。60を30回で約30分。これで2.5qくらいは進んでいることになる。

6月3日
 甲武信ヶ岳山頂近くに建つ甲武信小屋で働く写真家の方は、雨の日に来てほしいと云う。甲武信小屋ネット 今回、図らずもそのようになり、言わんとすることが分かる気がしたものの、些か強すぎる雨であり、無事に帰ることに必死で、美しさを愛でる余裕があまりなかった。小屋の方のアドバイス通り、登山道に何ら問題はなく、大雨後も無事だと聞いている。平野で雨量の多かった地域の方が余程被害が大きいらしい。

5月28日
 オルガン組み立て中の聖学院チャペルには出来るだけ見に行くようにしている。先週の木曜は巨大な低音パイプも入った沢山の木箱を4トントラックから降ろす作業があった。自分もチェンバロが入った木箱を扱ったことがあるが、それの3倍はあろうかという大きさで、男性6人がかりであった。今週は、その巨大パイプを立てる作業になる。
 オルガンの職人さんと話していて、時間ができると山に行っている、とのことですっかり意気投合してしまった。今度行こうと思っている山は、彼が最も好きな山だそうで、何度行ったか分からないらしい。

5月23日
 雨のため山を断念し、ときがわまで食事と水汲みに出掛けた。イタリアンのランチは家内がいたく気に入り、私は「美味しい店を探し当てる天才」の称号が授与された。実はグーグルマップを趣味のように見ていて、その際に食べ物屋をクリックすると店の情報や口コミが表示されるので、大いに参考にしているのである。(今日のお店はイタリア式食堂イルチエロ)
 それからとうふ工房わたなべにて豆腐、豆乳、その他諸々買い物をした。製造に際して、ここの地下に湧き出る水を使用しているそうである。この水は、駐車場で汲めるように解放されているので、25Lほど頂戴した。
 ときがわは、これらの他にも美味しそうな店が目白押しで、大いに期待している。約20年前、この辺に水を汲みに来ていた頃には殆どなかったから、比較的新しいお店が多い。

5月22日
 YouTubeを少しは視聴する。最近嵌っているのは、淳つさんのアニメーション。本来、登山動画であるのに、ヘルニア、骨折、風邪等のトラブル時にのみ手書きのアニメを編集したものが登場する。これが抱腹絶倒必至で、物凄い才能とセンスを感じさせる。またそのうち載せる、と言われるので新作を心待ちにしている。
 今日、初めて聴いたのは小林秀雄の講演。江戸っ子らしい語り口で、志ん生落語を聴くかのような感じがした。

5月16日
 山中でリュックの中に財布がない(家に忘れた)ことに初めて気づき、真っ青になった。行きは地元出身の方のアドヴァイスに従い、高速道路を全く使わなかったので、財布に入っているETCカードを出そうとすることがなかった。帰りは一般道だと混雑が予想されたので、高速を使うつもりでいたが、それも出来ず、家内が持っていた僅かばかりのお金でコンビニ食をしながら何とか帰り着いた。
 今回使った上武道路、無料の高速道路と言われているだけあって、かなり速く進むし、山々が美しく見えて快適であった。朝早く出るのであればこれで良いかと思った。

5月12日
 他のものと同様に、湧水も汲みたてが最も美味しく、次第に劣化する。冷蔵庫保存していたとしても、1週間を賞味期限に設定することにした。つまり、毎週汲むことになる。
 行った山の近くで汲むべく、事前に調べている。水場など車から見てそう目立つものでもない場合が多いものであるから、通り過ぎてしまい、結局見つからないことも多々ある。未知の水場の開拓にはなかなか苦労している。

5月10日
 隣りの実家の屋根瓦が破損し、旧知の職人さんに屋根修理を依頼した。作業をしていると、通りがかった人が「何してるんだ」と訊ね、「俺は左官屋だけど、屋根を直してるんだ」と云うようなやり取りをしていると、その人は本職の屋根職人で、破損した瓦のスペアも持っていて、作業に加わることになった。更には、駐車場を探しているとのことで、丁度空きができた実家の駐車場を借りていただくことになったようである。

5月7日
 昨日までの暑さとは打って変わっての寒い雨降り。寒暖差が大きいのは嫌なものである。先だってはもっと大きな温度差を体験していた。丹沢山の標高は1567メートルなのでそれほど寒いとは予想していなかったが、山頂では立派な霜柱が立っていたので、夜明け前は氷点下だったと思う。そこから下りて行くと、上では咲いていなかった花が咲き出し、下界まで降りると半袖の人も居るような気温であった。気温差30℃近かったのではないか。

5月3日
 丹沢山のみやま山荘のご主人はヒマラヤにも幾度となく行かれている筋金入りの人、おかみさんも山を知り尽くして適切なアドヴァイスをしてくれる方、こんなお二人が経営する小屋では所謂カンセンショウタイサクはゼロ、完全ノーマスクで本当に心地よかった。お客さんの中ではやはり着けている方も見受けられるが、却って奇異に映る。寝てる間もしているのか知らん。布団も立派なもので、しかもじかに触れて構わないと云う。去年、大抵の山小屋では布団にビニールがかけてあったり、インナーシュラフを持参させて、肌をつけないようにとか、兎に角うるさかった。
 残念な出来事は、間違って他人の登山靴を履いて行ってしまった方が居たこと。真っ暗闇の中で出発することもあるので致し方ない面もあるかと思うが、可哀そうなのは残された人。サンダルを借りて下山する訳にもいかない。どうされたのであろう。

4月28日
 登山をするようになって体質的、気質的に変わってしまったことが二つある。
 1.温泉が好きでなくなった。
    よく登山と温泉とがセットとして考えられるが、私達の場合、登山後はまったりせずに真直ぐ家に
    帰りたい。偶々、泊まったところに温泉があるなら喜んで入る。但し、すっかり長湯はできなく
    なってしまった。
 2.散歩が我慢ならない。
    山頂という目的地があるから長い歩行もできる。目的地がなく、漫然と歩くことが苦痛に思うよう
    になってしまった。買い物があれば長い距離も苦にならない。
 以上、こうなろうとしてなったのではなく、気がついたらこのようになっていたものである。

4月23日
 ベートーヴェンの緩徐楽章の変奏曲によくある和声体の主題。極めて単純な和音が並んでいるだけなのに、如何してこうも神々しいのか、と不思議に思う。全く同じことを最近登った地味な山、ヤツウチグラとカミヤツウチグラ(諏訪山)を登山途中から眺めた時に思った。ただの土地の凸凹であるのに、ゾワッとするような畏敬の念を抱いたのである。屹度、昔の人も同じように感じて、こんな神秘的な名前をつけたり、祠を建てたりしたのだと思う。富士山のように、平野の住人に分かりやすいケースとは全く異なり、西上州最奥ならではの印象であった。

4月18日
 巷の花は、大体、例年よりも1か月早く咲いているようである。山で咲く花のことは色々気にかけていて、先ずはガイドブックの記述を参考にしている。その上で、登山のSNSとも言えるヤマップで最近登った方の投稿写真を参照して見当をつける。今回は、大当たりで、桜よりも好きなアカヤシオを標高の高い箇所で堪能することができた。(写真上)低いところではミツバツツジが多かった。(写真下)
*結局、標高1500m以上では例年通りの花期。



4月16日
 3日前にお喋りし、ピアノを弾くのを聴かせてもらった知人が独りで亡くなっていたと聞いた。最早何があっても驚かない。身近で異常に進行が早い所謂ターボ癌に罹る人、酷い帯状疱疹に悩まされる人、ボクサーでもないのに急に網膜はく離になってしまう人等々、続出しており、感情をばかにしなければこうした話を聞いていられない。

4月13日
 自分なりに今までできなかったことが出来ることもあり、鍵盤を弾くのが少し楽しくなってきた矢先、寄る年波には勝てないと思わざるを得ない出来事があり、老兵は去るのみと犇々と思う。

4月6日
 統計を見るまでもなく、実感として喫煙する人が減った。それと反比例して肺がんに罹る人が激増していると云う。タバコと肺がんの因果関係は、無いか希薄であるとしなければならないであろう。
 大気汚染が花粉症の真の原因であると云う説もあり、肺がんも同様ではないだろうか。更には、12年前の放射能汚染、注射による免疫力低下も関係しているかも知れない。毎年の]線検査なども面積の大きい大量被爆であり、極めて危険であろう。
 腰痛も身近で異常に多い。注射の副反応の一つとして公式に発表されているから、原因の一つと考えられるのではないか。

4月4日
 二子山の上級者コース、地権者が私財を投じて鎖を設置したところ、登山者から頗る不評だったために全て撤去したとの表示がある。確かに鎖を持って登っては手応えなさすぎる感があるのだと思う。実際、岩のホールドと足掛かりは十分あり、手足をしっかり使えば落ちようがない気がした。
 二子山の山頂からは本来登ろうとした両神山が立派に見え、流石に風格ある良い山だと思った。こちらは鎖天国(地獄?)と言われる程、鎖場の連続である。何時か行きたいと思う。
 二子山の隣り、叶山は石灰の採掘で悲惨な状態になっているが、コンクリートの恩恵を享受している身としては何ら非難できない。次の餌食はこの二子山であろう。自分が生きている間くらいは大丈夫であろうが。今日来た記念に真っ白な石灰石の小片幾つかを持ち帰った。

3月28日
 ヨハネの福音書の冒頭は、よく知られているように「初めに言葉があった」である。同じようにバッハの声楽曲においては、「初めに歌詞ありき」であって、音楽の色々な要素はそこから派生している。如何演奏したらよいかの答えは、歌詞にあると思う。更に、そのようなアプローチは、純粋な器楽曲にも応用できるような気がしている。

3月25日
 間違えて覚えてしまったものを修正するのは容易でない。機械で上書きするようにはいかないのである。ドイツのプロフェッサーでさえも、何十年も違う音で弾いていた、と云うことがあるし、自分も勿論そうである。

3月24日
 よく水を汲むところの山の上の方が禿げてきたのが気になってはいた。水が濁る等の目に見える変化はないものの、何となく最初の感動がないのは、容器が古びてきたせいかもと思っていた。冬の間、行こうとしていた水場への道が工事で通行止めであったのが解除され、漸く行ってみると明らかにこちらのほうが甘みがあって美味しい。コーヒーにしても格段の差がある。水如きと云え不思議なものである。私だけではなく、家内も同じことを言っているので、多分気のせいではないと思う。


3月15日
 前述のように今年は花粉症がきつかった。点鼻薬でしのいでいたところ、この種の血管収縮剤を使い続けると或る時、全く効かなくなってしまうと聞いた。それは恐ろしいので、調べてみると、ステロイド系の点鼻薬を朝晩2回、3日以上続けると鼻の調子が劇的に良くなると云う。ドラッグストアでは並んでいる点鼻薬の殆どが血管収縮剤。(成分がゾリンで終わる語)2店舗目で成分がゾンで終わる薬を探し出した。能書によると、アンテドラッグステロイドは、患部でよく効き、体内では分解されて低活性になる、とあるので、やや安心である。本当に全く症状が消え去った。花粉のことなど何ら気にせず暮らせることは、本当に有り難い。

3月14日
 昔、軽井沢を旅行した折りには、高速を手に汗握る思いで運転し、泊まりで休まないことには帰れなかった。今では週1のペースで日帰りしているのに我ながら驚く。また、軽井沢碓氷インターを降りる際、間近に聳える険しい岩山に圧倒された記憶はあるが、まさか自分がそこを登るようになるとは露程も思わなかった。
 高岩登山は例の如く誰一人に会うこともなかった。初めて車に戻った時、地元のおばさんと立ち話になり、向こうも嬉しいと言ってくださった。集落で住んでいるのは2軒だけになってしまったとのこと。丁度、側溝に溜まった落ち葉を掻き出し、一輪車で運んでいらした。御年88歳。
 れすとらんヒロでは、若いマスターと下仁田ねぎの出来具合についての話となった。今年は急に暖かくなりすぎて、青葉が成長してしまい、芳しくない状況だそうである。

3月10日
 今年の1月1日の早朝に91歳で亡くなられた知人の遺言に感銘を受けたので、記しておきたい。
 「本当に恵みに満ちた これ以上は望めないような人生でした。今この世の人生を感謝をもって終り、主のもとに帰ります」
 また、光栄にも、私がオルガンでバッハを弾いたCDを葬儀でかけるようにとも書かれていたそうである。

3月9日
 山に興味はあっても、山岳文学と云うものにはなかったので、日本山岳名著全集を読むか、と義母に訊かれた時には、「読まないですねえ」と答えた。結局、家内が譲り受けてきて我が家にあるが、家内は読まない。自分は、監修に尾崎喜八、深田久弥と云う名前を見て、読んでみようかという気になってきた。手始めに深田久弥「わが愛する山々」から手を着けた。エッセイとして面白く、自分が登ったことのある山であると殊に興味深かった。本には1964.6(購入?)と手書きされている。丁度、自分が生まれた頃である。

3月6日
 妙義の一般には知られないコースを行った記録はブログで。
 妙義から下仁田に向かう途中にある水場で湧水を汲む。少しずつ容器が増えて20Lは優に超える。1か月前に同じ場所で汲んだ時には踏み台が厚い氷に覆われ、アイゼンを着用したものだが、氷は全くなくなっており、春の訪れを感じた。
 例によって下仁田での昼食は、串カツ定食。下仁田ねぎと赤城ポークの串カツは絶品であった。家内はトーストセット。バターと牛乳が神津牧場のもので、これまた絶品であったと言う。帰り道、これらの値段を調べると、とても買えない高価なものであった。美味しいに決まっている。

2月28日
 自営業者の大仕事をどうにかやっつける。PCになって格段に楽になったと言わなければならない。何しろ電卓を一度も使っていない。
 昨日から花粉症の症状が出て愉快ではない。目薬と点鼻薬でしのいでいる。

2月27日
 山ビルが恐ろしくて一度も足を踏み入れたことのなかった丹沢デビューに関してはブログをご参照いただきたい。
 その帰り道、有名なオギノパン本店を通ったので、揚げパン、調理パンなど、かなりの量を買って帰り、夕食とした。昔懐かしい揚げパン、勿論美味しかったのであるが、小学校の給食で出た、一寸揚げ過ぎた位の洗練されないもののインパクトのほうが数段上だと思った。良いパンと良い油を使っての上品なものは、また別物のような気がする。
 子供たちにも買って帰ったが、あまり喜ばれなかった。昭和ノスタルジー的な遺物なのであろうか。

2月22日
 日暮山では積雪の急斜面で軽アイゼンを使用、滑ることはなかったが、雪と枯葉とが団子状になってきて用をなさなくなるので、度々落とさなければならなかった。
 竜ヶ岳は普通に登っていたものの、上から走って来たトレランの人が、「凍結して完全なアイスバーンになってますよ。ひどく転倒しました。お気をつけください」と言い、そんなものかなと思っていたら、高度が上がるにつけて雪が凍結、軽アイゼンを着用した。下りはより厳しい。斜めになった氷の上を歩くことを想像して頂きたいが、軽アイゼンを着用すると全く滑らないのである。4本歯でも大したものだと思う。
 それにしても、長沢氏が「世にも美しい樹林の峠道」と述べておられたところ、滑らないことに全神経を注いでいたので、何一つ分からなかった。

2月18日
 ロッジ山旅で頂戴した打田氏の著書は、関越道で行ける山を網羅したもので、果ては磐越道の山々にまで至る。遠方の山は、余程有名でなければ知らず、良さそうな山を随分仕入れることができた。新潟は、豪雪に磨かれた美しい山が多いのである。
 著者の打田氏は、私が最も使い倒した「西上州の山の地図」の編著者である。だから好みも似た傾向がある。「西上州に通い続けて40年、山もいいが、食もいい」と云う言葉に全面的に同意する。(通い続けて2年ではあるが)食に関して曰く、「こんにゃくの生産集積地として発展した下仁田には、財を成した人々の食への欲求があった。また信州から上州への文化の通り道には、ロープライス&ハイレベルの味が多い」

2月15日
 超過死亡が空前絶後だったとしても、普通の感覚としては、何か救急車が多いな、と感じる位かと思う。それに対して、震災の年は花見をするのも申し訳ないような気分に誰もがなった筈である。報道の影響の強さがよく分かると思う。これをコントロールするだけで殆どの人を洗脳することは容易い。

2月14日
 寿命、病気、事故等で亡くなる方の数は大体一定の数を推移している。それを超える場合、超過死亡と言われる。厚労省発表の超過死亡者数がとんでもないことになっている。コロナが始まったとされる2020年はむしろマイナスであったのが、この2年間で約20万人である。因みに先月は更に酷い状況となったようである。トルコや東日本の大地震で亡くなった数よりも遥かに多くの人が死亡しているのである。
 コロナで亡くなったのでは、と漠然と考える人が居るかも知れないが、数が全く合わない。この2年間で戦争や災害が国内で起こったことはない。何が遠因となっているのか考えるべきだと思う。

2月11日
 マッチポンプ商法(詐欺)に引っかかってもそれとは気がつかない人が多いようである。最近は製薬業界が病気を作り出しては薬やワクチンを売る。それによって新たな病気(例えば帯状疱疹)が生まれ、そのための薬やワクチンが出る、と云う恐ろしいスパイラルである。
 最近、俄かに言い出された「コオロギを食べろ」キャンペーンは、プロパガンダの好例である。食糧難を演出し、富裕層が肉を食べ続けるためにも、貧民は虫を食えと云う。私は、そんなものを食べてまで生き永らえたいとは全く思わない。

2月8日
 メトロノームに合わせて音楽的に弾き通せる曲は、実は少ないのではないかと思う。基本的なテンポ感はあったとしても、数値として正確なテンポは無いということである。音が沢山詰まった個所と、まばらなところでは違うテンポを採っていると思う。ベートーヴェンもメトロノームが発明された時には、喜んで使っていたが、やがては止めてしまったと云う。ブラームスに至っては、「この機械をどのように使ったらよいのか、全く分からない」とまで言っている。自分は、テクニカルな練習の道具としては重宝なものだと思い、使うことがある。

2月4日
 家内と長男は、ほぼ毎朝、走っている。今の時期は、髪の毛についた汗が凍って、ツララのようになる。特に長男は、重労働をこなしながらなので、ストイックなものだと思う。足立区の会社から走って帰ることもある。
 次男は、どこかで断食の効用を聞いたようで、一食抜いてみたらすこぶる体調が良いと喜んでいた。ところが、断食して夜更かししたら体調最悪と言う。それは不摂生ということである。色々試行錯誤しながら学んでいくのであろう。

2月2日
 コロナワクチンのことも書いておかねばならない。
 当初に喧伝された「有効率95パーセント以上」と云うのは、勿論、詐欺的数字で、打てば打つほど感染しやするなるのは、厚労省発表のデータから読み取ることができる。接種後、2週間が最も免疫が下がる時期のようで、そのタイミングでコロナに罹る人が非常に多い。疾病を予防するどころか、却って罹りやすくなると云うのは、とんでもないことである。免疫を落とし、血栓が出来やすくなるとすれば、癌や心臓疾患を始めとするあらゆる病気の原因ともなり得る。実際、通常は考えられないようなターボ癌、帯状疱疹の多発等、憂慮すべき事態が起きている。
 接種した人がコロナになった場合、抗体依存性免疫増強(ADE)のために重症化するのも、当初から予想されたことである。抗原原罪により、何回打ったとしても所謂武漢型の抗体しか作れないようになってしまうこともまた憂慮される。

1月27日
 合唱団で宣言した通り、マスクで呼吸を阻害し酸欠になりながらミュートして歌うのは、私には耐え難い。以後、マスクをしたまま演奏する人との共演はしない積りである。政府がコロナを5類にしてマスクは個人の判断云々と寝ぼけたことを言っているが、今までもマスクが義務化されたことはなく、相変わらず個人の自由である。感染を予防する効果が皆無であることは、再三書いている。

1月25日
 山のガイドブックのことをブログに載せた。そこには書かなかったが、小川山の山頂についての記述が好きである。「長く歩いたわりにはそっけない、なんの展望もない山頂だが、もとよりそんなことは山の知ったことではない。どんな山頂にも喜びはある。静けさを堪能したのち、往路を下る。」百の頂に百の喜びあり、と云う深田久弥の言葉を下敷きにしていると思われるが、感動的な言葉である。因みに旧版では次のような記述になっている。「こういう山頂にも喜びを感じられれば山の恩恵は限りない」
 日が長くなったら小川山も訪れたいものである。

1月17日
 再び下仁田で初めてのお店。やっているのかやっていないのか分からない佇まいで、その雰囲気は入店してみても同じだった。味は美味しいが、何か寂しい。飲食店とは、やっている人の熱量がダイレクトに伝わるような気がしてならない。
 山はひとぼし山と、下仁田の街中にある古嶽山(骨立山)を登った。後者は30分ほどで登れるにも拘わらず、岩峰上の何も遮るものがない眺望が素晴らしい。家内は、下仁田九峰の川井山を外して、この山を入れるべきだと言う。下仁田九峰と云えば、登山口に看板を立てるだけではなくて、もう少し道を整備したほうが良いと思う。1か所など登っている時にロープが外れてしまった。私が結わき直したが、それがずっと安全に機能するかは何とも保障できない。低山といえども、整備されない道は大変危険である。

1月11日
 一番で書き忘れたこと。若いマスターの言葉。「師匠夫妻は元気です。おじいちゃんは車椅子になっちゃいましたけど。引退したというと気が萎えるので、一人でお店をやっているけど、いつでも来てね、と言っています。テレビは基本的にお断りしていますが、おばあちゃんが俳優さんに会いたいと言ってOKにすることもあります。おばあちゃんは元気になるけど代償(お客殺到)が凄いんですよね」

1月10日
 下仁田には登山に行っているのか食べに行っているのかもう分からない。「一番」には感動した。意を決して中の見えない扉を開けると、L字のカウンター席は満席、待つ椅子が二つだけ空いていたので丁度良かった。(以降、外の行列で待つ)待っている全員が至近の厨房内で八面六臂の働きを見せる店主の一挙手一投足に見入っている。何しろたった一人で調理から皿洗い、会計(領収書も嫌な顔一つせず書いてくれる)、お客との気さくな会話、料理しながらの電話対応までこなすのである。餃子は注文を受けて、皮から作る。新年は何日から始めたの、と訊かれ、1日から、温かいものを食べるところがないと言うお年寄りがいたから、と答えていた。4日からは他のお店も始まるので休んだ、とのことであるが、確かに4日はわれわれも他の店で食事していた。最後に「お粗末様でした」と挨拶されていたが、個人の家ならともかく、有名店の店主の言葉としては初めて聞いた。

1月5日
 家内は動物並みの嗅覚を持っていて、誰が抱いた猫であるか臭いで当てることができる。また、よく大きな音を発するので、聴覚は常人並であるようだ。その家内から私は、美味しい店を嗅ぎ当てる感覚、または引き寄せる能力を褒められる。9割以上の勝率かも知れない。再三述べているように、下仁田には良い店が群雄割拠している感があるが、わが町は本当に寂しい。お気に入りの店に「閉店します。7年間有難うございました。」下に小さく「またお会いしましょう」と書かれた貼り紙があった。

1月4日
 3年連続で1月4日に登山をしていることに我ながら驚いた。今年は年頭に相応しく富士山を登った。と言っても別名藤山。下仁田九峰を完登する積りもあって選んだ。道がはっきりしないこともあってコースタイムの倍かかってしまった。もう一つ、九峰のうちの大山も続けて登ったが、地図に道が無い山である。山行中にスマホで使うヤマップと云うアプリにも道は表示されない。(現在地は分かる)木々に結ばれたピンクテープだけが頼りと云うのに、分岐等、ここぞと云うところで無くて迷いに迷った。一体、山と云うのは、地図で見る方向に進めば登れる、ということはないのである。撤退することも考えたが、ヤマップのお陰で何とか行って帰ることができた。
 下山後、お決まりの下仁田でのランチ。新しい店を開拓し、あまりの美味しさに舌を巻いた。雰囲気も昭和な感じ。前述のように、素晴らしい店が10軒以上密集しているので、毎回の選択に困ると云う贅沢な状況である。

2023年

12月28日
 丁度1年前の今日、西上州のデビューを果たし、今年も同じ日に同じ山域の山を登ることになったのは、奇遇と云うよりも年中行事化してきた感が強い。最近は、寒い山中で食事や休憩をすることを嫌って、山は午前中に登り終え、下仁田で昼食を取ることにしている。この小さな町は実に不思議なところで、徒歩5分圏内にB級グルメとも云える店がひしめき合っているのである。和洋食堂鍋屋、洋食の日昇軒、れすとらんヒロ。有名な老舗Kさんは、われわれには一寸しょっぱ過ぎた。今日は目新しいところでブロッサリー茶茶を狙っていたが、通常業務日ではないらしく、12時になっても準備中とのことで、仕方なくあたりをうろついていると、安兵衛と云う食事処が気になって入った。(ブログに掲載)その他、「一番」と云う庶民的な中華料理屋さんは地元民で活気があるように見えたし、鍋料理の「コロンビア」はよく行列ができていたので、これらもそのうちに訪ねてみようと思う。

12月23日
 厳寒のヨーロッパに行った時に穿いていて寒い思いをしたズボン下を12年ぶりくらいに買い替えた。イトーヨーカドーの「着た瞬間から暖かいHYBRID WARM云々」で、とても暖かい。化学繊維の性能向上は大したものである。替え用にもう一つ買い足し、売り場で目にした「ココピタプラスあったか実感 靴が履ける厚みでつま先保温力2倍云々」という靴下も試しに買ってみると、これまた大変暖かい。先日、雪の中にずっと足を入れているとつま先が冷たかったので、どうしようかと思っていたのである。

12月19日
 富士山は、全く不思議な山である。どこからでも見えると大抵の人が嬉しい。たとえ豆粒のようであっても。
 富士山周辺の山に登ると、さぞかし富士の景色が素晴らしいのだろう、と想像していた。確かにその通りであるが、幾ら高度を上げたとしても平地から見るのとそう変わらない気がした。そして歩いていても目に入ってくるのはどうしたって立派な富士山ばかり、様々な山の表情を楽しむ面白味には欠けるようである。
 度々、大砲の音を耳にする。演習場で撃っているのである。前述のように、国を乗っ取るのに軍隊が攻めてくるなど前近代的で犠牲を払うような仕方をする筈がない。戦車を使うとしたら、ゴジラがやって来た時くらいのものではないか。

12月15日
 防衛費増額のために増税すると云う。今時、軍隊を使わずとも国の侵略(乗っ取り)は容易であると思う。日本の場合、どれだけの土地をC国人が所有し、企業の株式も外資系に抑えられているかを見れば明らかである。また、上層部がC国やAに牛耳られ、情報を都合の良いように統制されていると思う。どうせ型落ちの武器、ポンコツワクチン、世界中で使えなくなっている農薬等、無理矢理買わされることになるであろう。

12月12日
 上野村に来るとどうしても日航機墜落事故を思い出さずにはいられない。また、山の高いところに刻まれている御荷鉾スーパー林道を見ては複雑な気分になる。恐らく経済効果を考えて建設されたのであろうが、完全に負の遺産である。12月から4月までは閉鎖、それ以外の期間にたまに山道好きなバイクの人が通るくらいで、土砂崩れがある度に通行止め、復旧工事の連続である。見捨てられた塩那道路のほうがましかも知れない。思うに、リニアも似たものになるのではないか。最初は好奇心で乗ってみるかも知れないが、あとはどのようになるのか想像するだに恐ろしい。
 登山のガイドブックによると、四季に合わせ、いつも美しいお花畑を楽しませてくれる民家が登山口にある、とのことであったが、民家に住む人が居ないのは一見して分かった。地方の集落は、空き家も全て放置され、寂しいことになっている。

12月9日
 不織布マスクの穴はウイルスの大きさより遥かに大きい。鶏小屋の金網を二重にしたら蚊が入ることが少なくなる、と考える人はまず居ないであろうが、肉眼で見えない世界のことになると訳が分からなくなるようである。それに幾らマスクを肌に密着させたところで、呼吸はできているのであるから隙間は幾らでもある。ウィルスは素通りであると言える。
 人が密集する空間の二酸化炭素濃度を測定して大騒ぎしている人がいたが、マスク内部の二酸化炭素濃度は計測したのであろうか。常に二酸化炭素中毒レヴェルであることは想像に難くない。
 酸素欠乏と二酸化炭素中毒は、脳の細胞に損傷を与え、癌の原因ともなる。マイクロプラスティックが血液中から発見されるようになった、との報道もあり、そういった化学物質が蓄積してアスベスト等のように何十年後かに癌を発症させるものと思われる。
 マスクは一種のフィルターであるから、エアコンのフィルターを見れば分かるように、空中のあらゆる物質を吸い寄せている。そして細菌等が最も繁殖しやすい温度と湿度でそれらを増殖させ、撒き散らすことになっている。
 世界で最もワクチンを打ち、国民の殆どがマスクをし続けた結果が、世界一のコロナ感染者数である。厚労省の言う基本的な感染症対策(マスク、ワクチン、消毒)がまるで逆効果であることに気づいてもよい筈である。

12月5日
 大バッハの次男、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ全集の恐らく最後の巻、手稿譜によるソナタ集を購入、自分のまとまった形での楽譜購入はこれで最後になるかと思う。(宗教曲、協奏曲、室内楽曲等、本当は夥しい数の作品があるのだが、演奏する機会もないので手にしていない)ソナタは、24日に演奏する。

12月3日
 生徒でぎっくり腰を発症する方が何名か出ている。私の予防法をお教えしておいた方がよかったのか、と思うと同時に、身体的なことは個人差も大きいので意味ないか、とも思っている。その予防法とは、寝床体操で、朝起きてから寝床を離れるまでに行うもので、そのおかげか、何十年も腰痛知らずである。標高3000m以上のカプセルホテルのような山小屋の寝床でもこれを欠かすことはなかった。

11月28日
 一般登山道では最難関とされる妙義の鷹戻しを安全具を装備して何とかクリア。これ以上大変なところに行くことはないであろう。
 登りは相変わらずであるが、下りは80代の義母に教わって大分速くなった。家内によると、5倍くらい速いと云う。速いと膝への負担が増すのでは、とか怪我するのでは、と云う危惧を持っていたが、そのようなことは全く無かった。そのおかげで下仁田のランチタイムには余裕をもって間に合った。

11月21日
 週末のカフェで湧水を使うため、今日は雨が降っていても山に行く積りでいた。出掛けると急速に天気が良くなり、一つの山(本来は二つを予定していたが時間の関係で)を登り、その登山口の水場、および梅田湖畔、大州の水の2か所で採水することができた。(画像はブログ)
 栃木と群馬の県境あたり、そんなに都会からも距離的に遠い訳ではないのに、随分と山深く、秘境に来た感があった。大体、車道が狭くて暗い森の中を走り、片側は深い沢となっていると、本能的に怖い気がする。そして最も寂しくなったところに心霊スポットとして有名らしい三境トンネルがある。

11月19日
 去年の冬も下仁田には通い詰めていた。下仁田ねぎを横目に見ながらも、「意外と高いね」などと言いながら買わなかった。先日、下仁田駅前でランチした際、すぐ近くの八百屋で初めて買ってみた。店の人によると、「これは初物で、3回くらい霜に当たるともっと甘くなる、収穫したものを冬中置いておくと青いところは駄目になるが、白いところは更に甘くなる、だから一冬に3回は食べて」とのことだったので、その通りにすることにした。買ったものも汁物にすると、出汁がよく出て非常に美味しかった。

11月15日
 表妙義に登ろうとしたが、駐車場を間違え、それとともに違う方向に歩いた(かなり登り坂)ため、約1時間も無駄に登り下りしてしまった。すっかり心折れ、天候も予報より悪く、岩峰を登るのは無理と判断、他の山に変更することにした。南牧村の檜沢岳が、未踏で、登山口までの道が冬季閉鎖となってしまうこと、比較的短時間で登れることもあって、この日登ることにした。登山口は、山深い地の民家が数軒点在する場所にある。いずれも廃屋になっていて、荒れた内部を覗き込むこともできる。やがては村全体が不要になった家屋や土地を売ることもできずに荒廃していくのだと思うと、何とも寂しい気がした。

11月12日
 冨田一樹さんのオルガンリサイタルがリリアであった。ご本人が反マスクの急先鋒であり、「真実を追い求めるオルガニスト」としてツイッターでも積極的に発信されているので、もしやと思ってリリアに問い合わせてみると、案の定と云うかマスク着用でなければ入場できないとのことであったので、聴きに行くことを断念した。理由は「他のお客様のご迷惑になるから」であると云う。クレームをつける人が居なくなることはないので、この馬鹿げた悪習は永遠に続くのであろうと思われた。

11月11日
 敬慎院の夕食は勿論、精進料理で、それに御神酒が5人分としてお銚子1本がついてきた。われわれは飲めないので、まるまる一本どうぞ、と同室になったご家族に勧めると、いたく恐縮されていた。それでも3人とも顔を赤くされながら全部呑んでいらした。(その後、本堂での勤行に全員参加)翌朝、「昨日の酒の美味しさは一生忘れられない」とご主人が話しておられた。何でも、10日前から断酒されていて、禁欲的な寺での宿泊で、まさか酒が出るとは思っていなかったと云う。境内では生臭ものを食することは禁止との立て看板があり、持って来ていたのが煎餅のみで、ゆで卵など持っていなかったので良かった。尤も、下山後すぐの食事がガッツリとした唐揚げ定食。直ぐに肉食に戻ってしまった。

11月9日
 家内は私のことを「長沢さんの弟子」だと言う。今回登った七面山も、同氏の「この山は敬慎院に泊まってこそ意味がある」と云う言葉に忠実に従い、本当にその通りだと思った。
 約4時間かけてひたすら登り、敬慎院の境内で休憩していると、「どうぞ中でお休みください」と声をかけられた。石油ストーブで暖められた部屋で炬燵に入ってお茶を飲んだり煎餅を食べたりしていると、登山などどうでもよくなって、山頂行きは翌日に持ち越しとした。炬燵には「別当便り」と云うファイルが置いてあった。別当とはこのお寺で一番偉い人らしい。読みやすい文章で、色々な取り組みや目指しているところがよく分り、全部読んでしまった。標語を考えるのもお好きなそうで、このお寺のモットーが「温もりと救いがあるお山」だそうである。画像や登山記事はブログに。

11月4日
 大抵の方にとってはどうでもよいことと思うが、次回のコンサートでモーツァルトのピアノソナタとブラームスのピアノ小品集を全て弾き終えることになる。コンサートのタイトルはベートーヴェンのピアノソナタ全曲だけれども、プラスの部分で他の作曲家も取り上げていたのである。巧拙は別にして、好きな作曲家の全曲を辿れたことは貴重な体験であった。

10月31日
 先日、白洲次郎、正子夫妻が住まいとしていた武相荘を見学した。藁ぶき屋根の農家が今ではミュージアムになっている。白洲正子のエッセイは随分読んでいたので、それが書かれた場所を見るのは感慨深かった。
 エッセイと云えば、前述の「山梨県の山」がガイドブックにも拘わらずエッセイのような趣であるのを文章から感じていた。著者である長沢洋氏のHPを覗くと、まさにエッセイが満載であった。赤ん坊を背負っての登山記録も、自分が登ったことのある山など特に面白く読めた。

10月25日
 愛読書「山梨県の山」のことは前にも書いた。この著者が経営する「ロッジ山旅」に泊まりに行き、直接、感謝を伝えることができた。一体、この方の勧める選択をして、良くなかったことがないのである。今日も、帰りは〇〇の道を通った方が良い、景色がいいから、と言われ、本当にその通り、初冠雪したゴツい甲斐駒ヶ岳、鳳凰三山の威容をとくと堪能することができた。
 出された料理は全品美味しく、使っている水の重要性を説かれ、その点でも意気投合した。ロッジに引かれている湧水を汲ませてもらい、今週はそれを使う。

10月20日
 我が家では、やっぱりコードレス掃除機は駄目だ、と云う結論に至り、珍しくまだ壊れてもいないのに買い替えることにした。兎に角、吸引力が弱すぎるのである。当方は猫の毛と猫砂が散乱し、特に後者は吸引力が弱いと吸えない。何とか吸ったと思ったものがまたバラバラと出てきてしまう始末で、とても耐えられなくなった。機能が少なくてよいから、安くて吸引力の強いものが良い。

10月17日
 4時半に家を出るつもりで、どうしても外に行きたいという猫たちを5分間だけと思って4時25分に出した。逃亡の前科があるオスたちは、1匹ずつ交代で。猫たちを家に入れ、最後の一匹は、と見るとどこにも居ない。白くて最も臆病なメスである。家内と二人で懐中電灯を使って隈なく捜すもどうしても見つからない。どこかに行ってしまったとすれば、戻って来るのを待つしかない、と腹を括っていたところ、5時半頃、玄関前に突然現れた。猫というものは不思議なものである。兎に角、これからは面倒でも一匹ずつリードにつないで出すことにした。
 捜している間、お隣の奥様にお会いし、やはり猫を探しているのだと云う。怪我をした身で2,3日戻らないそうで、こちらも心配である。

10月16日
 家内がオルガンの16フィートが鳴らないと云うので開けてみると、ストップを引いても押してもつながっているワイヤーがゆるゆるで、自分で応急修理できるような状態ではなかった。製作者に連絡すると、明日から九州に出張してしまう、とのことで、今日来てもらった。設計者本人であるので、原因は来る前から大体分かっていらして、迅速に切れたワイヤーを交換してくださった。本番前に間に合って良かった。16フィートが鳴らなくても演奏できるが、オーケストラでコントラバスなしのような感じになってしまう。

10月15日
 昨晩、家内が猫を外に出していたら、隣家の庭からタヌキがやって来て、猫と遊んでいたと云う。調べてみると尾に横縞があるのはアライグマらしく、タヌキではないようだ。性格凶暴で、害獣指定されているらしい。家内はポン太君と呼んでいたが、荒井君と云ったところだ。

10月13日
 偉い作曲家が最後に辿り着いた境地を表しているものは、最早音楽でないような気がしている。魂の領域と云うか。そこまでの軌跡をなぞりたくて全曲演奏会なるものを好んで行ってきたが、今回が最後になろうかと思う。

10月8日
 ベートーヴェンのピアノソナタシリーズ、プログラミングを全て終えた。第22回で完結予定。再来年に終わらすことも可能ではあるが、最終回のプログラムを秋に弾くのは寂しすぎるので、次の春に持ち越したい。シューベルトもフォーレもやりたかったのだが、欲を言っては切りがない。

10月4日
 家内がド派手なオレンジ色の大阪マラソンTシャツを着ていたところ、武尊山山頂で大阪の方に話しかけられた。高崎に泊まって、前日は谷川岳だったそうである。関東に住んでいる方は羨ましい、と言われた。確かに自宅からは栃木、群馬、山梨、新潟、一寸足を延ばせば長野、福島までの山に直行できるのであるから恵まれていると思う。
 狙っていた水場が1か所は見つからず、2か所が沢の水であったので汲まなかった。下山してからキャンプ場の水道を味見したところ、不味かったのでこれも止めた。武尊山の反対側に湧水群があるので、Navi任せで行こうとしたところ、延々山を登る道で、遂には尾瀬の玄関口である鳩待峠付近にまで達し、そこから下りて行って漸く道の駅尾瀬かたしなの水汲み場に着いた。尾瀬近くの紅葉した林相が美しく、目の保養にはなった。

10月1日
 背中に背負うのはリュックサックと覚えているので、どうしても略してリュックと言ってしまう。若い人は短くザックと言うようだ。ドイツ語の発音としては合っている。
 杖はシュトック、寝袋はシュラーフと言ってしまうが、日本ではストック、シュラフと言うらしい。ストックでは貯蔵とか株の意味になってしまうのではないかと思う。

9月28日
 エリザベス女王の国葬では全員がノーマスク、大勢集まって歌など歌っていたが、その後全員にPCR検査でもしてみれば、阿波踊り後とそう変わらず、陽性者は出ることと思う。昨日の国葬も然り、マスクをしていたからと言って何ら変わらないのである。
 マイクロプラスティックを接着剤で固めた不織布マスクの相当数から猛毒として知られるホルムアルデヒドがされたと云う。脱色剤である二酸化チタンもまた。最凶の発がん性物質である。こんな代物を常用し続けると、長い目で見れば重大な健康被害を引き起こすことは火を見るよりも明らかである。

9月24日
 映画で保護司のことを知った。刑務所から仮出所した人の更生の手助けをする仕事で、映画では若い一人暮らしの女性が自宅に観察処分の人を招いて食事を振舞ったりしていた。こんな困難で危険も伴うかも知れない重要な仕事が民間人のヴォランティアに頼って行われているのだと云う。つまりは無報酬である。民生委員と云い、自治会と云い、民間をただで使うことがまかり通っているのは不思議でならない。国や自治体が責任を持ってやるべき仕事ではないだろうか。

9月23日
 最終回などと銘打って仰々しくやることが好きでないので、何時の間にか消えていたと云うのが良いと思う。幾つかのことがそうやって自分の内では終わっている。
 マスクをして演奏するなど以ての外、邪道であると思う。できれば関わりたくない、と云うのが本音。

9月21日
 最も酷いデマ、次の二つによって文化は殺されたと思う。
 無症状の人からも感染する。
 大きな声で話したり歌ったりすると感染する。更には、すれ違っただけでも感染する。

9月14日
 今までで最も怖かったのは、尾出山、山田山、高原山の縦走。車で入る林道が暗い悪路で、遂には崩壊しているため、何とか駐車できそうなところに停め、荒れた道を歩いて行く。標識の類は一切なく、この時は何故かGPSが機能しなかったので、ガイドブックの大雑把な地図のみが頼りであった。迷いながらも尾出山に到着し、縦走したのはよかったが、帰り道が見つからない。方角は合っている筈と、道なき道を下って行き、当初通っていた沢に降りた。この登山道でないところを通るのが最も危険であるが、致し方なかった。這う這うの体で車に辿り着き、林道を抜けると、「マムシとヒルが多い」との掲示に初めて気が付いた。日光開山の勝道上人は凄まじいところで修行していたのだと思った。二度と行きたくない山である。

9月13日
 ハードな山行が続いたのと、本番前であるので、軽い登山として金峰山に登った、と言うと「軽くない」との声があった。確かに瑞牆山方面から登ると1日がかりであるが、今回は標高2360メートルの大弛峠まで車で上がり、そこから往復5時間であった。
 大弛峠から2.7q下ったところにあまり知られていない水場があり、そこで氷水のように冷たい湧水を汲んできた。珈琲を淹れるための何よりのお土産である。また、塩山の街に下山してからはコンビニを探し、店で淹れたコーヒーを飲んだ。水道水を使っているにしても、やはりかなり美味しい。湧水を水源としているためであろう。
 本番は、かなり渋くて真価が伝わり難いかも、と思われる曲も含まれているので、聴きやすくなるお話も交えて何とかしたい。内容的には滋味溢れる第一級の作品ばかりである。

9月9日
 ほんの僅かばかり畑を借りている。いつもはナス、トマト等を収穫して足早に立ち去るのみであるが、今日は一寸した除草もしていたところ、案の定、蚊が集まってきた。そのうちに経験したことのない感覚を覚えたので腕の裏を見てみると、10匹位が群れてたかっていた。短時間でもこうである。長時間、畑にいる人はどうしているのであろう。

9月6日
 この夏は、悪天候が予想される場合はキャンセルするつもりで、多めに山小屋を予約していたところ、全部が好天で過密スケジュールになってしまった。そして先週は日本で2番目に高い山を登ったので、今週は1番に登ることになっていた。記事はブログに載せてあり、ここではこぼれ話的なものを書きたい。
 マイカー規制と云うのがあって、富士急ハイランドあたりの駐車場にとめて、シャトルバスで登山口である五合目まで行くことになっていたが、8月で解除されたと聞いたので、自家用車でそこまで登ることにした。料金所には普通車往復¥2,100としか書いてなかったので、丁度の金額を渡すと、「これはサービス」と言って¥100返して下さった。びっくりしていると「軽は¥○○」と言って何百円かお釣りを下さり、とても得をした気分になった。
 このようにシーズン終わり近くなったので、人が少ないのでは、と思いきや、若者や外国人多数で、そう云う人たちに囲まれていると外国に来たような気がした。
 山小屋では、至る所に嘔吐用と云う容器が置いてあった。そして夕食時の注意では、「食べたらすぐに寝ないで、1時間くらいは起きていてください。胃に血液が行って、寝ると呼吸が浅くなるため、酸欠、高山病になる恐れがあります」とのこと。自分も山頂の寸前で貧血を起こしそうになったが、何とか止まった。家内は何ともないそうである。

9月1日
 先日の北岳登山口へのアプローチは、芦安に駐車し、バスに乗って約1時間、南アルプス林道を通って広河原に至るしか方法がない。このバスが、平日はとんでもないダイヤになっていた。5時過ぎの次が10時と云うのである。5時に間に合うためには家を2時に出なければならない。それは何とかなって、実際にバスで通ってみると、殆どが車1台分の細い山道で、マイカー規制するのも当然と思われた。
 帰りもそのバスに乗るつもりで下山すると、乗合タクシーの運転手が登山客一人一人に声を掛けていた。結局、そちらにしたのだが、100円くらいの違いでバスより快適、15分くらい速い、道の凸凹まで熟知した上での運転等、大正解であった。

8月30日
 日本第2の高峰、北岳の有名なフレーズとして、「北岳、来ただけ」と云うのがある。今回、雲一つない快晴で、登山口からは山頂までがはっきりと見える好条件であったが、中程からガスってきて、何も見えなくなってしまった。これも登山あるあるの一つであろう。それでも、一瞬だけ霧が晴れて景色の良さが垣間見られる時もあり、また来たい山の一つとなった。
 宿泊した北岳肩の小屋は、標高3000メートルの地点にあり、同宿の方で高山病を発症、吐いている方もいらした。われわれは、登る山の標高を段々と上げ、また、恐ろしくゆっくり登るので、そうしたことは幸いにもなかった。
 寒さだけは予想以上であった。雨具を含む衣類の全てを着込み、寝袋に入って3枚の毛布をかけて何とか凌いだ。テント泊している人も多く見かけたが、私には到底真似のできないことである。
 
8月25日
 八海山の登山についてはブログに譲るとして、千本檜小屋での出会いを書きたい。
 われわれが小屋に着くと、大部屋にはおじさんが一人だけ横になっていらした。福島の方で、百名山を70いくつか登られているそうなので、相当のベテランである。かなり遅い時間になって10人くらいの賑やかな団体さんが到着した。日本中の和菓子屋、洋菓子屋、包装屋さんの集まりであると云う。お父さんが風月堂の創業者、おじいさんが日本で初めてシュークリームを作った、とかお菓子業界の内部事情等、布団の上で聞く話は興味が尽きなかった。
 また、山小屋のご主人が、われわれ夫婦が傾聴に値すると思っている医師でユーチューバーの内海聡氏のお弟子さんであり、ノーマスクを貫かれているため、われわれお客も気兼ねなくノーマスクでお喋りすることができ、呑む人は宴会もできていたようである。(普通の山小屋ではなかなか許されない)
 翌朝、われわれ以外の皆さんはロープウェイで下山されるとのことで、小屋で別れた。8時間かけて難しいコースを巡って下山し、先ほど教えてもらった六日町のお菓子屋、「ことう」に行ってみると、10人グループ全員がいらしたのでびっくりした。ここのお菓子、バターを使ったきちんとしたものであった。更に駐車場を見ると、ベンツ等の高級外車が並んでいた。社長クラスの方々なので当然であるが。

 
8月20日
 何年かぶりに拙宅の全フロアーを塗り直し、更に食卓の木製テーブルにも着手している。コロナが始まった頃に買って殆ど使っていなかったアルコール除菌液が初めて陽の目を見た。これを古い塗料に吹きかけると溶けて容易に剥がれるのである。このような代物をしょっちゅう手に擦り込んでいる人たちが、常在菌のバリアがなくなって感染しやすくなることは、前述の通りである。

8月19日
 マスクに感染予防の効果はない、手指消毒するほど感染しやすくなる、と云う主張を2年以上してきて、最近はこれらの誤った感染対策を最も真面目に行っている日本が感染世界一となり、私の主張が正しかったことが証明された恰好である。特に、いまだマスク信仰は強く、これを着けていれば感染しない、他人に何か移すこともない、と信じられているが、これも逆ではないか。フィルターにあらゆる雑菌やらウィルスを吸着させた上で、適度な温度と湿り気で培養したものを周囲に撒き散らしているのではないかと疑う。人の内部からもマイクロプラスティックが検出されるようになったし、百害あって一利なしである。

8月18日
 うちの前が駐車場になっていて、毎朝5時半ごろ、ベランダに出ているうちの猫たちに向かって、「猫ちゃん、行ってくるね、チュッチュ」と声を掛けてくださるおじさんが居る。夜は7時半ごろ、「猫ちゃん、ただいま、チュッチュ」。飼い主より可愛がっているのではないか。

8月16日
 登山あるあるで、下山が単調で長い、と云うのがある。計画の際、登りの時間や標高差に注意が行きがちで、下山が長いと分かってはいても、休憩を挟みながら気長に行けば大丈夫だろう、くらいの積りでいるととんでもないことになる。先日の鳳凰三山も殆ど展望のない中道と云う下山路(近道と響きが似て非なるもの)がわれわれの足では6時間を要し、ほとほと嫌になってしまった。途中で、歩くのが遅いの、速いので喧嘩になるくらいであった。

8月13日
 フェイクの殿堂、A日新聞を購読している。ワクチン接種後に心筋炎で亡くなった高校球児のことが「心不全」とぼかされ、野球部の子達が亡くなった子に「力を貸してくれ」と祈る、と云う言わば美談に仕立て上げられていたことに心底怒りを感じた。序でに言えば、元々心筋炎は医師でも稀にしか出会わない病気で、スポーツ選手や若い子に多発すると云うことは、原因は一つしか考えられない。

8月12日
 山小屋でもコロナ対策と称して全員がマスクを着けさせられる。ところが可笑しかったのは、夕食時に狭い食堂に全員が集められ、カレーライスが供されたのであるが、勿論全員マスクを外して、「おかわり!」「ごはん半分、ルー多めで!」とか叫んでいたことである。大部屋で大勢が寝る際も、恐らく誰一人マスクなどしていない。健康な人がいくら集まったところで集団感染など起きる筈がないのである。
 山行の帰り、山梨県内のセブンイレブンでドリップコーヒーを飲んで、明らかに都会より美味しかった。湧水が水道水として使われているためであろう。家でも青木鉱泉で汲んだ水で美味しい珈琲を楽しんでいる。

8月6日
 PCを新調して1日で取り敢えずは使えるようになったものの、日々、出来なくなっていたことに気づき、インストールし直しなどしている。
 バッハアカデミー定期演奏会プログラムのフォント(字体)が消えていたのには驚いた。使用していたのは麗流隷書と云う書体で、調べてみると「筆ぐるめ」の会社のものであるらしく、このソフトがWindowsに同梱されなくなったので消えたらしい。無料のフォントも検索してみたが、色々不都合があるらしいので、住所録ソフトは他に使っているにも拘わらず、このフォントのためだけに「筆ぐるめ」を購入した。「筆ぐるめ」をインストールしておいてWordで文書を作ると今まで通りのものが出来るのである。

8月2日
 世の中、猛烈な暑さだと騒いでいるようであるが、冷房をかけているので、天国に居るようである。但し、閉鎖された天国。今日は、解放されて冷房も要らない天国に居た。

7月31日
 昨晩、PCが起動しなくなり、一晩おいてもダメであったので、販売店に持ち込んだ。結局、壊れた部分を交換すれば使えるものの、費用が何万もかかり、初期化されてしまうので、同等の新品を急遽買うことにした。設定は自分で行うので、完全復旧には暫くかかるかと思いきや、一晩で早急に必要なことは大体できたのでホッとしている。メール、このホームページ、フェイスブック、ブログ等。

7月29日
 赤岳2日目は下山するのみ。下山地である久し振りの清里は、夏休み中とは思えぬ位、人がまばらで驚いた。清泉寮で食事などした後、女取湧水と云うところまで足を延ばして水を汲んだ。赤岳は水場が無く、頂上山荘でも生活用水は雨水(天水)だったのである。車を停めたところから結構な山道を歩いていかなければならないので、リュック必須であった。今は家でこの水で淹れた珈琲を愉しんでいる。

7月28日
 先日の赤岳(八ヶ岳)登山は、これまでで最長の登り時間、こなせるかどうか心配であったし、頂上山荘の人に「3時までにチェックインしてください」と事も無げに言われていたのがプレッシャーであった。結局かかった時間は7時間半。5時間を超えてからは、疲れのためか標高が高いためか分からないが、度々休んで呼吸を整えないと進まなくなってしまった。却って終盤の岩場の方が、手の力も使って高度を稼げるので、ずっと楽に感じた。
 「標高3000の絶景を見てしまったら病みつきになりますよ」と或る方に言われた通りだと思った。特に頂上に宿泊すると、日の入り、日の出の光景が体験でき、感動的であった。(画像はブログの方に)

7月24日
 予てより懸念していたサル〇緊急事態宣言が悪魔の組織より発出された。パンデミック詐欺の第二弾、もしかすると本番である。またコロナと同じかそれ以上のことが繰り返されると思うと、絶望しかない。

7月21日
 狂いに狂ったバカコロナ騒ぎで生きていくのもほとほと嫌になる昨今、生徒から面白い話を聞いた。中学生の女の子とそのお母さんによると、部活で部長代替わりとなった日、新部長の男の子がコロナのため来られず、家で泣いていたと云う。「みんなに感染させては申し訳ない」とか言っている彼をラインで慰めてあげなよ、とお母さんが言っても女の子は嫌だと言う。そこでお母さんが言う文面をそのまま送ったところ、「弱っているところを有難う」と感謝され、おまけに告白されたそうである。「私でよければ」とお母さんに言えば、と言って大笑いした。

7月19日
 今日も山行の予定にしていたが、4時に起きて天気予報を確認すると、前日よりも芳しくない様に変わっていたので、取り止めにした。再び寝るのもどうかと思われたので、猫たちを外に出したり、庭仕事などしていた。放置していると厄介なつる植物が蔓延ってしまうので、駆除に努めた。
 知人や山で一緒になった方に勧められた山岳保険に加入した。お金による補償だけではなく、小型無線発信機を装着していると、万一の場合にヘリで見つけてくれると云うものである。

7月15日
 或るインタヴューがあった。しどろもどろの喋りでも言わんとするところを汲み取っていただいて、まともな文章に仕立て上げてくださることを期待している。

7月14日
 童謡唱歌の会を始めた時には、大袈裟に言えばこれらの歌を後世に残すべきと思っていたが、近年では難しいのではないかと思っている。唱歌で7,80代の方が空で歌えるものも、4,50代の私たちは聴いたこともなかったりする。一種の流行りは時代とともに移り変わっていくものではあるまいか。クラシック音楽全般も似たようなところがあって、永久不滅とは思えない。私自身は、一種の諦念や告別の想いを以てやっている。

7月13日
 指を悪くしてほどなく取り組んでしまったのがシューマンのピアノトリオ1番。それからシューマンは一応全部やり、モーツァルトも今回で最後となる。長いようで短い17年間であった。

7月11日
 「選挙において誰が投票するかは問題ではない、誰が開票するかである」というスターリンの嫌な言葉がある。これは日本でも例外ではない。全然開票されていない段階で当確が出る。幾らでも操作できるのであろう。

7月9日
 今の時代、有名人を見れば写真や動画を撮るのが当たり前で、あの銃撃の瞬間も色々な角度から撮られ、流布していて、不自然なことがよく分かるようになっている。2発目の後に安部氏は倒れたのではなく、しゃがみこんだように見える。よく手品等でも観客の注意を引いておいて何か別のことを仕込むと云うことがあるが、それに近いのではあるまいか。警察やSPもグルである可能性さえ否定できないと思う。大体、あのような玩具のような手作り銃で、一人の人の急所を命中させることが可能であろうか。何から何まで疑問符がつく出来事である。

7月6日
 湧水は、松田川上流の知る人ぞ知る水場まで汲みに行った。足利の山火事の際にヘリが消火用水を調達していたダム湖の近くである。この水で珈琲を淹れてみると、やはり美味しい。水道の浄水とは明らかに違う。(尤も、日本茶ではよく分からない)調べてみると、足利市などは、湧水を水源とした水道だそうである。荒川下流の如何にも汚い水とは大違いである。

7月5日
 登山記録はブログに譲るとして、今日、最も感銘を受けたのが藤屋食堂のソースかつ丼である。かつ、ごはん、ソース、みそ汁、漬物のどれもが申し分なく、絶妙な取り合わせとなっている。埼玉の人間からすると、味付けはソースだけと云うと、チープとか味気ないとかのイメージかも知れないが、そのような感は全く無い。ソースかつ丼一筋と銘打っているだけあって、究め尽くした一品となっている。下仁田かつ丼が醤油ベース、こちらがソースベースと思われるが、それは個性の違いであって、どちらも美味しいと思う。

6月30日
 17年間、右手のジストニアと闘病と云うか、リハビリテーションを続けてきて、それなりの改善や進歩が常にあったのだが、もう限界かと思い、ギブアップすることにした。自分の場合、2から5の指に正しく力が入らなくて、それを補おうとするのか不随意的に1に力が入ってしまう状態で、練習で一寸よくできたと思っても、本番で緊張すれば微妙な力のバランスが崩れ、制御不能になってしまうことも屡々である。それでも少しずつ良くなっている意識はあったので、演奏会のプログラムを考える時に、この時にはこれ位出来るようになっているのではないか、と云う希望的予想に基づいて曲を決めていた。これは悪く外れることが多すぎるので、もうやらないことにしたい。現在出来る至極簡単なことに限定しなければならないと思っている。
 指が最も酷くて、どうやっても誤魔化せないのでキャンセルした唯一のコンサートがヴァイオリンの斉藤さんとであった。また、そんな状態で始めてしまったのがヴァイオリンの斉藤さん、チェロの中村君とのトリオであった。ピアノトリオと云えばメンデルスゾーンのものが最も有名で、何はともあれその曲から始めるのが順当であろうが、指の関係で取り上げられなかった。前述のように「もうそろそろ出来るかも知れない」と思って今年の7月にやることにしたが、やはり難しかった。改めてこの総譜を見てみると、ヴァイオリンとチェロは2分音符、4分音符のような単純な譜面であるのに、ピアノだけが終始細かい音型を弾いていて、愕然とした。ともあれ、このような状態でも今までトリオを続けてこられたのには感謝している。

6月20日
 登山で訪れた菅平高原は、長男にとっては馴染みの場所である。それもその筈、街中を実業団選手と思われるランナー達が走っている。あちこちに立派なラグビー場、サッカー場等の設備が整っている。聞けばここのセブンイレブンではプロテイン等、アスリート御用達のものばかり扱っていると云う。
 それにしても今日は高原でも暑かった。2000メートル級の山に登って汗だくになったのは初めてである。菅平牧場が登山口であるので、そこに戻ってきて食したソフトクリームの美味しかったこと。

6月15日
 深田久弥の「日本百名山」が出版されたのが私が生まれた年だそうで、今なお百名山ではそれなりの賑わいを見せている。記述の中で、山頂あたりで「円陣を組んで合唱している組もある」と云うくだりがあるが、今はそのような人達はどこにも居ない。合唱とか、歌を歌うと云う行為自体、昔に流行ったものである。

6月14日
 尾籠な話題。不快に思われる方は読み進めないでください。
 4匹いる猫たちのうんちは、個性があって誰がしたものであるのか判別ができる。皆、教えられた訳でもないのに、子猫の最初のうちからトイレの失敗をしたことが無い。自分の便には砂をかけて埋めてしまうものであるが、どういう訳か一匹だけそれが出来ない。砂をかけようとはしても、全く見当外れの方向であるので砂一粒もかからない。手を取って、こっちだよと示しても嫌がるだけで覚えなかった。

6月9日
 長きに亘って主張していたことが公的機関に認められ始めた。渋々と云ったところであろうが。
 (1)国立感染症研究所がコロナは空気感染すると認めた。よってマスク、アクリル板、ソーシャルディスタンス、手指消毒等の感染症対策は無意味である。
 (2)厚生労働省はワクチンを接種した方が接種していない人よりもコロナに感染しやすいと認めた。それまではデータの改ざんがあって、逆の結論であった。こんな為体で接種してしまった人が何故怒らないのか不思議でならない。
 (3)3月までの人口動態統計が厚生労働省から発表されているが、異常な超過死亡数である。震災の何倍もの数の死ぬ筈の無い人が亡くなっている。接種が始まってからと云うタイミングが合うので、それが原因、遠因であると強く疑われる。免疫系が弱くなるため、急に癌が末期になった、と云う話は枚挙にいとまがない。
 帯状疱疹が増えたとも医療関係者からよく聞いており、更には蜂窩織炎だそうである。前述のように過度のアルコール消毒によって起こる。こまめな手指消毒など続けていればもっと深刻な病気になるであろう。

6月8日
 みずがき山山麓の富士見平小屋そばで汲んだ湧水で珈琲を淹れると先週よりも美味しい気がした。昔、東秩父まで定期的に湧水を何十リットルと汲みに行き、食用、飲用全てに使っていたことを思い出した。今はそこまで出来ないので、登山中に水場を見つける度に背負えるだけ汲んで来ようと思う。

6月6日
 聖学院チャペルでのペンテコステ礼拝で弾くため、オルガンをリハーサルしようとすると音が出ない。リセットしても出たり出なかったりする。オルガン使用を諦め、急遽ピアノで演奏することにした。スタインウェイのグランドである。ベヒシュタインとは全く違う音色であるが、やはり素晴らしいと思った。
 聖学院の新しく設置するパイプオルガンが具体化し、今使っている電子オルガンがヘソを曲げてしまったのだと思う。(下は完成予想図)
                   

6月4日
 皇海山上空ではヘリがブンブン旋回していた。遭難か何かがあったのであろう。
 私たちが山荘に泊まった時も、午後8時半頃、高齢の方2名とガイドが真暗闇の中、命からがら山荘に辿り着いた。前述のようにコースタイムが短すぎるので読み違いが生じたのではあるまいか。一体、日本百名山と云うとよく調べたり準備なしに来てしまう人も多いようである。
 水が足りなくなる案件もあった。水場は長丁場の後半にあるのみである。この水場では空になったペットボトルを全て満たして持ち帰った。普段、南アルプスの〜と銘打ったミネラルウォーターを使っているが、コーヒーやお茶にすると比べ物にならない程美味しい。唯一最高のお土産である。

6月3日
 もう一度、鋸山を登り返し、よく分からないピークを幾つか越えて六林班峠に漸く到着、それからはリアス式海岸のようにジグザグの道を、10は超えると思われる沢に下り、渡渉し、また道に戻ると云う繰り返しをしながらひたすら歩いた。それでも若葉の広葉樹主体の林相が美しいので、目は慰められた。中程で山荘の幻覚を見た、と云う話を聞いていて、また大袈裟な、と思っていたが、本当に見えた。白樺が建物に見えたのである。やがて本物の山荘、正確には屋外バイオトイレが見えた時には、皇海山が見えた時くらい感動した。
 山荘には百名山のおじさんが待っていてくださり、「ひどい山だ。こんな不親切なところはない」と憤慨していらした。確かにコースタイム2時間と書いてあるところが1時間も余計にかかるのは問題だと思う。しかし、案内の不親切な山には十分慣れていたので、われわれは何とも思わなかった。
 結局、皇海山山頂からを下山とするならば8時間半かかり、2日間の歩行時間20時間、登り下り3,000mであった。あまりに非日常的な体験であったため、今思うと夢幻であったような気がしてならない。(つづく)

6月2日
 皇海山への登りは特に険しい訳でもなく、中級登山であると思う。しかし、大好きな足尾山塊の盟主たる風格を備えた山に登れたこと自体が嬉しかった。山頂は樹々に囲まれて眺望は殆どないが、日当たりが良いので明るい雰囲気である。燧ケ岳方面がよく見える地点があり、今なお雪深い様子が見て取れた。
 登頂は午前10時頃。この分なら余裕で下山できると思ったのは甘かった。(つづく)

6月1日
 午前3時頃うっすらと明るくなり起床、それでも朝食はモバイルバッテリーのLEDライトを照らしながらであった。午前4時に出発、たまたま同宿となったお二方と一緒になったり離れたりしながらの行程となった。お一人は日本百名山を96登った方なので「百名山のおじさん」と呼んでいた。もうお一方は若いので「おにいさん」。
 午前5時過ぎに庚申山登頂。朝日に照らされる日光連山、これから登る皇海山の偉容は感動的であった。それから鋸山まで10のピークを越える。最後の方は岩場が出てきて、われわれは西上州で慣れていたが、鎖場は初めてという方もいらして難儀そうであった。
 鋸山山頂は360度の眺望が素晴らしく、これから登る皇海山も大きい。そこに向かって下って行った。(つづく)

5月31日
 登山者の間で合言葉のように「いつかはすかいさん」と交わしていたのを実現することができ、その内容も素晴らしかったので心に残る体験となった。
 1日目は、先ずかじか荘に行き、庚申山荘の申し込み、登山届の提出を行った。その場所に駐車して林道を1時間以上登って行くと一の鳥居に着く。その途中、鈴の音がするかと思うと犬の散歩であった。おじいさんが一の鳥居まで往復していると云う。山道と言っても良いほどの勾配、石がゴロゴロした悪路を往復2時間以上よくもまあ、と感心した。
 一の鳥居からは本格的な山道の登りで、1時間ほどで庚申山荘と云うログハウス風の山小屋に着く。ここまででもヘロヘロであったが、荷物を整理しているうちに回復し、近くの「お山巡り」に出掛けた。お山と云うか奇岩巡りである。梯子の多いコースを2時間半ほどかけて巡った。
 山荘に戻って夕食後は寝るしかない。電気もないからである。(つづく)

5月24日
 ネット上の地図に行先を入力すればルートと所要時間が瞬時に表示され、実際のところ正確なので重宝している。昨日も山梨県の勝沼インターを経て登山口まで家から2時間ちょっとであった。近年は圏央道と云う高速に乗れば八王子はすぐであるし、そこから中央道に直結しているので山梨、長野方面は便利である。川島インターまでの一般道も研究し、田舎を通って極端に信号の少ない、景色の良い道を昨日初めて試したところ、とても快適であった。

5月23日
 大菩薩嶺、人気があって気軽に登れるコースではなく、かなりのハードコース(丸川峠、石丸峠と云う普通は通らないところを経て大回りする)を選択した。前述のように長沢洋さんの「古来の登山道を丸一日をかけて歩いてみるのも価値あることだと思う。劇的なくらいに印象の異なるこの山の北面と南面を両方味わうことができる」と云う助言に従ったからである。本当にその通りであった。北面の苔むしてしっとりとした原生林を抜けると、突如として富士山を間近に望む明るい世界が現出する。一般コースでは得られない感動がある山行となった。4時間にもなろうかと云う下山は流石に嫌気が差してきたが、丁度中間くらいにロッジ長兵衛が現れ、そこでアイスクリームを食べると生き返り、残りの道のりを元気に歩くことができた。

5月20日
 屋外ではマスクを外してよいとの政府見解が発表されたと云う。元々マスクの強制などされていなかったので余計なお世話である。皆がしているから外せない、自分の考えは二の次と云うのは日本の国民性で、支配層からすれば御し易い要因であろう。どうやら今度は天然痘様の伝染病を流行らせるようである。ワクチンはその前からできている。もうWHOの国際条約が各国憲法の上をいくから事の整合性などお構いなしに強制接種することができる。思えばコロナなどその予行であったのであろう。

5月17日
 登山を始めた頃に買った「栃木県の山」ガイドブックの禅頂行者道の項、全行程18q、累積標高差(登り)1355m、5つの山頂を通過し、6時間50分かかると云う記述を読み、気違いじみている、到底できない、と思っていたところ、ついに決行、8時間以上かかりながらも何とか歩き通すことができた。霧のためもあって全てのピークで眺望ゼロ、まさしく修行のような山行であった。
 朝7時に古峯神社の駐車場に到着。山奥にもかかわらず300台収容できる巨大な駐車場にうちの車一台だけ、と思ったら先着で一台停まっていて、後で登山仲間になるおじさんの車であった。この方は6時からわれわれより長いコースを廻られ、われわれよりもずっと早く帰って行かれた。来週は車中泊をしながら、両神山、雲取山、大菩薩嶺を登られるとのことであった。
 下山後、古峯神社門前の栄屋のご夫婦が、座ってお茶を飲んで行きなさい、饅頭を食べてごらん、観光案内をあげる、といって親切にしてくださり、随分と長話をしてしまった。

5月15日
 山梨県と長野県に進出するにあたり、両県の登山ガイドを購入した。前者の著者が長沢洋さんで、エッセイを読むように面白い。ガイドブックであるのに、かなり主観的、断定的なのである。「感激を高めるには、すべからく東側の山麓から登るべきである。苦しい登りをこなした人だけへの褒美は想像以上であろう」と云った具合に。私たちも今度登ろうと思っていた山では一般向けよりは少し長い時間のコースを選択していたが、「古来の登山道を丸一日をかけて歩いてみるのも価値あることだと思う」と云う助言に従い、より長いコースを選び直した。
 長沢洋さんのプロフィールより。大阪生まれ。高い山に憧れて山梨県の都留文科大学に進むが、結局学生時代は山登りはほとんどせず、もっぱら下界で放蕩する。卒業後は河口湖に住み、茶店の番頭を20年近く勤める。その間、再び山登りに目覚め、せっせと県内の山に通う。2000年から八ヶ岳南麓で登山者向けの宿を経営。面倒なことが大嫌いだから、たくさんの道具を使う激しい登山とはついに無縁だが、やぶこぎはあまりいとわない。ひと気のない山の、傾斜の緩い、しかも明るい尾根道をのんきにぶらぶら歩くのを何より好む。
 長野県のガイドブックでは、兎に角、北アルプスに感銘を受けた。やはり別格、究極であると思う。まだ見ているだけで登れない。

5月13日
 ブログをあげていると、少ないながらもフォローなどしてくださる方が現れ、自分もその方々のブログを拝見し、感心したり影響を受けたりしている。群馬の低山を中心に登る方、ガーデニングと山登りをする方等。前の方の影響で下仁田九峰を登ろうと思ったし、後の方の庭がモネのかと見紛うばかりで感嘆している。

5月11日
 車に貼ってあるステッカーを必要があってはがそうとしたが、勿論、屋外用の接着であるので容易にはがれない。そこで手指消毒用のアルコールをかけると接着剤が溶けてきれいにはがすことができた。こうしたものを手指にしょっちゅう塗りたくることの意味を考えた方がよいのではないか。常在菌のバリアを壊し続けることにより、蜂窩織炎等の深刻な病気を引き起こす。こんな代物を推奨する訳にはいかないので、来客用のアルコールは早々に撤去した。大分水で薄めてはあったが。

5月7日
 南アルプスの甲斐駒ケ岳と仙丈ケ岳に登るのに山小屋を予約しようと調べてみると、山梨側から入る道が今年も通行止めで、長野側から入ることはできるとしても、2泊以上は必要になってしまうため、止む無く断念した。林道と云うものは、崩落等で度々通行止めになることは承知しているが、何年にも亘ることがあるのだと知った。

5月6日
 200座登頂を機にこれまでで印象に強く残った山をブログにまとめた。順位はつけ難いので、ベスト10のようなランキングにはしなかった。それでも1位は、相変わらず中倉山かなと思っている。
 それとともに登山をするようになってから買った変なものも載せた。殆どが獣や虫からの防御のためのもので、これらを見た方から、山とはこんなに恐ろしいところだとは思わなかった、との声も頂いた。実際のところ、200登っても熊や猪に遭遇したことは一度もなく、鹿を見かけたこと数回、山ヒルに食われたこと1回あるだけである。それでもいざという時のために備えは必要だと思うのである。

5月2日
 登山200座目はどの山にしようかと考えていた。連休にもかかっているから人の多くないところ、帰りが渋滞しないこと等を考慮し、大ナゲシにした。8時間の歩行中、誰にも会わなかった。帰りは高速を使わず、秩父経由で帰って来たので大分時間がかかってしまったが。
 埼玉側から登ることも考えたが、半分くらいの時間で済んでしまって練習にならないのではないかと思い、群馬側から入った。上野村の中心部を初めて通り、慰霊の施設が多く目に入った。例の日航機墜落現場の近くだからである。
 変わった山名の大ナゲシは、私好みの岩峰であった。岩登りとともに、山頂からの絶景、山桜、アカヤシオを楽しむことができた。山に至るまでに2時間以上の渓流沿いの登りも必須である。小滝が無数にあり、ところによっては谷底が見えないほど切れ落ちている。なかなか秘境の趣があった。

5月1日
 古楽が好きではないことは前にも書いた。寧ろ聴いていて気持ちが悪くなることさえあるので嫌いなのであろう。
 クラヴサンで弾くF.クープランは第一級の藝術作品であると思う。但し、前半でこれを弾き、後半がバッハであると印象がかき消されてしまうことは致し方ない。その瞬間瞬間の藝術であるから。フランス古典全般のことであるが、作曲者が音を楽譜通りではなく、不均等な長さで弾きなさいと言っている。書道で言えば、楷書は禁止、行書や草書で、と指定しているようなものである。

4月26日
 ノーベル賞も受けているY教授が嬉々としてノーマスクでマラソン大会に出ているのを見た。コロナ初期に、ウィルスを撒き散らしているかも知れないから、ランニングの時には鼻、口を覆うように、と公に提言した人物である。その出まかせを真に受ける人が続出し、未だにその状況が続いているのであるから、世間に対して、間違っていましたと謝罪するなり、修正意見を述べるなりすべきであると思う。

4月24日
 例年であれば真っ先に芽吹いてピンクの花を咲かせる筈のかりんが一向に変化がないので不審に思っていた。改めて木全体を見てみると、赤黒い木肌でとても生きているようには見えなかった。昨秋までたくさんの実をつけていたのに、急に木全体が枯れるということがあるのだろうか。人間で言えば、朝、起きてこないと思ったら死んでいた、と云うようなものである。

4月23日
 早稲田桜子さんとバッハのヴァイオリンとチェンバロのためのソナタを演奏した。その後、彼女が無伴奏を弾く前に、私と学生の頃に出会ってから30年以上とか、年齢が特定されるような話をし出したのには驚いた。また、演奏会を企画するのも、新しい曲を勉強するのも大嫌いで、私が次は何の曲、と指定してくるので有難いと思っているとのこと。確かに私はプラニングが好きである。公演も登山も年間計画を立てている。

4月15日
 当欄は約2年前の記事を削除しながら更新している。その頃のを見返すと、事コロナに関しては我ながら一貫したことを言い続けていると思う。尤も、当時は分からなかったからやっていると思われた国などの対策は、今に至るまでわざとやっている、と云う確信に変わっているが。
 あの頃、「40万人死亡する」とか言って恐怖を煽った西浦某と云う易学者が最近出てこなくなったのは良かった。相変わらずオミクロン会長は健在で、各所に悪影響を及ぼし続けている。都知事はかなりトーンダウンしたものの、機を見るに敏な方であるから、いち早くコロナを5類に落とす提言を行った。その方向になりつつあることは、取り敢えずは良いことだと思う。

4月13日
 ガソリンは岩槻ICの近くのスタンドで入れている。プリペイドカードを使うと一般的価格よりリッター30円くらい安いのである。以前などは入口が2か所あり、それぞれから入った車が何の誘導もなしに、空いたところに向きを変えながら進んでいく。よくこれで恙なく回るものであるが、人件費も最低限でやっているのであろう。
 軽自動車だと燃費も良いし、税金、車検、高速、どれもが安く、もう普通車には戻れないと思う。

4月11日
 1年ぶりに訪れた「草原」と云う喫茶店で、「山に行って来たの?」と訊かれたので、「はい、丹勢山に」と言うと、「長年この商売をやっているけど、丹勢山に行って来たという人は初めてだ」と言われた。確かに、大変な割に取柄の少ない山であるが、時々見える冠雪の日光連山は素晴らしい眺めであった。
 何が大変と云えば、先ず最初から道が無い。地図にはあるのに笹藪を掻き分けて進むしかない。ほとほと嫌になった頃、車の通れる林道にぶつかり、何と歩きやすいのだろうと感動した。それも始めだけで、総長15qに亘る単調な道行には流石に嫌気がさしてしまった。「草原」のご主人が、「地元じゃ誰も登りませんよ」と仰るのも当然だと思う。それでも、記念にと言って、「丹勢山」と云う立派なパンフレットを下さった。

4月9日
 朝、起きて食卓に行くと、座っている家内の頭に手をやることが多い。或る土曜日にそうしようとすると、長男だったことがある。髪など家内より長いから間違えそうになる。長男が家に居ると、ブッ、ブッとおならのような音を口で出し続ける。またビヨーン、ビヨーンと云う奇妙な音も。口でパーカッションをやる練習らしいが、聞いていて決して愉快な音ではない。

4月8日
 猫を散歩(と言うより放牧か)に出す折、向かいのおじさんとよく話す。亡くなった父と同い年なので、父と話しているような気がしないでもないし、父と生涯交わした会話よりも多く喋っていると思う。好奇心の旺盛なおじさんで、質問が絶えず、会話が途切れないのである。父の場合は人に質問はしても、多分それで満足して答えは聞かない人であったから会話が成立することは少なかった。

4月7日
 先週はドイツリートのピアノパートを弾いた。特にシューマンのピアノパートはピアノの曲ではないかと思われるものが沢山あって楽しい。自分がやりたいと思った企画に応えてくる演奏家が居て幸いである。
 それが終わって今度はチェンバロ。バッハのヴァイオリンとのソナタヘ短調は、滅多に演奏されないけれども傑作だと思う。クープランも実に久し振り、バッハとは全く違った愉悦がある。

4月4日
 ウクライナの大統領がグラミー賞の場でヴィデオ演説をしたと聞き、広告会社か何かによるプロパガンダである感を強くした。「ねえねえ尾身さん」を彷彿させるものである。全てアメリカの都合で報道もなされているのであろう。この国のこれまでに繰り返し犯してきた極悪事を忘れてはならない。

4月1日
 愛読している朝日フェイク新聞に、全てのスマホの内容が政府に筒抜けになるような計画を進めている、との心肝を寒からしめる記事が載っており、最後にエイプリルフールであると断っているものの、シャレにならない冗談だと思った。
 こんな質の悪い新聞を何故取り続けているかと云うと、朝、紙の読み物がないと無性に寂しいのと、販売店のおばさんが良い人であることだけである。

3月30日
 国立感染症研究所が、コロナはエアロゾル感染、言わば空気感染すると漸く認めた。これで空気やウィルス漏れまくりのマスク、アクリル板、手指の消毒、ソーシャルディスタンス、換気等、御用学者らが提唱していた感染対策が全くの無意味であることが明らかになった。インフルエンザと同様に防ぎようがない、どうやっても感染するのである。(発症するかどうかは別として)それでも日本人は世界の最後までマスクを外せないであろう。全く馬鹿げたことである。
ワクチンについては、コロナを予防するものではなく、却って罹りやすくなり、感染爆発を招くものであることは諸外国の事情を見れば明らかである。3回、4回と接種が進めば第7波、8波と言われるものがやって来る。そのことは諦めをもって覚悟している。

3月24日
 この春から共同で野菜作りが始まるので、「自然農法」の書物を読んで俄か仕込みを行っている。勿論、常識とはかけ離れたことばかりで、目から鱗と云うよりは半信半疑のところも多々ある。兎に角試してみなければ分からないと思う。根に耕かせる。雑草は切るだけで抜かない。水や肥料は原則やらないか最小限度等。

3月21日
 近所を歩いていたところ、ネズミ捕りをやっていた。見ていると、実に緩いスピードで走っていた車がどんどん捕まっていく。自分もこの場所を車で通った時、特別速くもないつもりで走っていて、前の車が旗を振られて捕まるのを見た。自分が先頭を走っていたらと思うとぞっとした。警察が単なる点数、罰金稼ぎのためにやっているのだと思う。

3月19日
 下の写真、かなり山深い場所であるが、緑の部分が大体杉林である。
     

 このような杉林の中を通過して大量の花粉を吸っている割に花粉症の症状が埼玉に居るよりは軽い。そこで次のような花粉症の例え話を思い出した。
 人間の免疫システムをダムに譬え、10人の警備員が守っているとする。常にダムを壊そうとする悪人がやって来るが、これらの警備員が撃退している。今頃の季節になると、大型バス(花粉)に乗った数十名の悪人が襲ってきて、10人の警備員では守り切れない。最悪の事態であるダムの決壊(アナフィラキシーショック)を避けるため、放水(鼻水)を始める。即ち、空気中に花粉が漂ううちに多量の有害アレルギー物質が付着してそれが症状を引き起こすというのである。それだから、新鮮な花粉にはそれ程反応しないのかも知れない。

3月16日
 三段の滝を見てから、西上州のマッターホルン大岩と碧岩を登った。岩と称するだけあって、かなりきつい岩登りであった。雪があったら一寸難しかったと思う。
 遅い昼食をとりに下仁田の町に行くと、何と行きつけの鍋屋も日昇軒も休みで、定評あるきよしや食堂に入ってみた。同じ下仁田カツ丼でも、鍋屋とは流儀が違うようだ。
 西上州の山も次回で一先ず終わりとなる。美味しい昼食がなくなることとともに寂しくて仕方がない。

3月12日
 ワクチンはオミクロンには効かない、とファイザーも認めているにも拘わらず、有効期限の切れた3回目を打とうと云う人が意外と多いのは理解できない。そして、コロナに罹っている人のほぼ100%がマスクを常用していた人、また大抵がワ苦チン接種済みの人である。両方に何ら効果がないことを信者さんもそろそろ認めるべきであると思う。コロナ脳の方はほぼ例外なくウクライナ問題に対して感情的である。コロナと同じ様なプロパガンダであるため、メディアには容易に騙されてしまうのであろう。

3月9日
 マタイの映像に日本語の字幕を入れ、動画編集を終え、YouTubeへのアップも大変時間がかかりながらも無事終えた。配信にご興味ある方は下記をご参照ください。
 マタイ受難曲配信について

3月8日
 立岩に登って素晴らしかったのと、いつもの鍋屋の料理に感動したことは、写真付きでブログに載せようと思う。
 先日のマタイ試演会は、まるで山登りだと思った。頂(音楽の場合、どこだか分からないが)を目指して一歩一歩、歩を進めるしかない。休憩は立っておにぎりを食べるのみなのも寒い時期の山歩きと似ていた。そして何よりも、1日10時間さえも山歩きすることで長丁場に耐え得る体力が或る程度はついたのかも知れない、と思った。

3月3日
 明後日はチェンバロを運搬、搬入、調律し、マタイの全曲をリハーサルし、再び調律し、本番を行い(休憩時に調律)終演後に楽器を搬出、運搬すると云う離れ業をやらなければならない。資金がないが故の苦労である。状況を客観的に見て、マタイを指揮するのは最後であろうと予想している。回数を重ねてより良くしていきたいとは思っているが、何時か終わりにしなければならない。大勢が集まれるチャンスがもう無いのではないかと思うのである。

3月1日
 狂った独裁者がウクライナを侵略しようとしている、と云う単純な構図は納得がいかない。ウクライナの複雑な事情を調べると、西側も深く関わっていることが分かる。資源が豊富なだけに、色々な勢力に利用されやすい国なのである。いずれにしても、不幸な目を見るのは民衆。どこの国でも同様である。

2月28日
 山は出来るだけ雪の少ないところ、と思っているので選ぶのに苦慮している。山のことはよく分からないだろう、と思いながらも次はどこの山がいいか家内に訊いてみると案の定、「日昇軒」と云う返答であった。そこで、下仁田槍とか西上州のマッターホルンと呼ばれている小沢岳にした。ほぼ雪道であったが、踏み跡があったのでとても楽であった。頂上での眺望も、単独峰らしく壮大なものがあった。
 日昇軒ではランチメニューを食した。品数多く豪勢であったが、先週のフライメニューの方が美味しかった。はす向かいの紙屋で和菓子も購入した。

2月26日
 ウクライナ問題については態度を保留したい。世間では「プーチン=極悪人」の大合唱であるが、そんなに単純なものか疑問である。「大量破壊兵器がある」と言って日本まで加担して始めた戦争が、結局は根拠のない略奪戦争であった、と云う例もある。

2月24日
 多分、溶剤としてアルコールが入っていた髭剃り用のローションを使っていた。これを使うと何故か空咳が出て抑えることができないのである。息を止めるようにしても駄目だった。或る時、山小屋に泊まった時だったか、このローションなしで髭剃りしたところ、咳は全く出なかった。それ以来、これを使うことはなくなった。
 皆さんが愛用しているアルコールも、実は害の方が大きいと思う。ウィルスを殺すよりは、善玉常在菌を皆殺しにしてしまうので、却って防御が出来なくなってしまうのである。消毒し過ぎで重大な感染症になってしまった人も知っている。

2月22日
 所用あって銀行を廻った。埼玉りそな銀行、三井住友銀行、東京UFJ銀行はマスクを着けていなくても何にも言われなかったが、M銀行の受付では「何か色々言われるかも知れませんよ」と言われて、待っている間、窓の開いた際に隔離された。しかもその人の手数料の説明が間違っていた。この銀行のATMシステムはどうしてもおかしいし、取引を止めようかと思う。

2月21日
 雪のないところを狙って、下仁田の大崩山と浅間山に登った。お昼にいつもの和洋食堂鍋屋に行くと休みだったので、メニューを見て気にはなっていた洋食屋日昇軒に行ってみた。都内の名店に匹敵するか、価格の安さを考慮すれば、寧ろ凌駕するかも知れない絶品フライを堪能させてもらった。これは食の誘惑が多すぎて困ったことになってきたものだ。

2月20日
 フルートの西田紀子さんの魅力は、ナチュラル、上品、チャーミングであることに加えて、様々な引出しを備えていることだと思う。バッハを共演していても、即興的なやり取りができるのが嬉しい。
 自分を含めた共演仲間では言葉で表そうとする人が少ない中、絶妙な言語化を図ろうとする人でもある。「この道」変奏曲のオーケストラが壮大に鳴るような終結部で、感極まったように「この道はローマに続く!」と叫ばれたのが印象的であった。

2月15日
 龍王山を主峰とする神成九連峰と云うと大変立派な名前であるが、実際は超低山の散歩コースのようである。それでも、高さ約300メートルの場所を下界の街を眺めながら歩くのは気分が良い。登山者お一方とお会いした。秋に榛名富士に登って死にそうになり、体力の無さを痛感して、トレーニングするようになり、この山は2回目だそうである。
 あまりに物足りないので、小太郎山(蛍山)と兄倉山(御岳山)も登った。後者は、登るにつれて雪が深くなり、少々難儀した。
 お昼はお決まりの「和洋食堂鍋屋」で、私はバターの香る絶品オムライスを頂いた。どのメニューも絶妙に美味しいので、全部制覇したいと思っている。

2月14日
 ワクチンの説明書通り、コロナを予防する効果はなく、接種を受けた人達が次々とコロナに罹っている。3回目の後に感染している人も多い。あの予防効果95%云々も詐欺的数字であることは、発表された時から指摘している通りである。
 一時落ち着いていた救急車の音がまた増えてきたような気がする。3回目が始まったからではないか。癌の急激な悪化、血栓症、免疫不全が多いようである。それに、消費期限切れであるのを後から期限を延ばして在庫処分することにしたワクチンである。当然のことながら、こんなことを通用させることは許されない。

2月11日
 増苦の常用により、子供の言語発達障害が急増との記事を読んだ。確かに人の表情を読み取れない、自身の呼吸、発音がしづらい、酸欠になる等、良いことがないが、後者に関しては、適応していくのではないかと思われる。標高3000メートル以上のところで生活している人達も居るのであるから。
 自分の場合、増苦アレルギーであると同時に、帽子もなかなか駄目であることに気が付いた。頭に熱が籠ってしまうと如何にも耐え難いのである。山でも直ぐに取ってしまう。

2月7日
 桐生の鳴神山は1000メートルに満たない山なれど、山頂での眺望は360度、富士山、南アルプス、浅間山、武尊山、日光の山々、筑波山と云う具合に関東の山殆どが一望できると言っても過言ではない素晴らしい山である。円形にベンチが配置してあるのも頷ける。どの角度でも絶景が楽しめるからである。それにしても寒かった。マイナス4℃。
 何故、急に桐生の山に行ったかと云うと、反コロナで名高い「腑(もつ)煮屋ワインディングロード」で食事したかったからである。久し振りに店員も作る人も増苦をつけていないお店で食べられた。「他人はバイ菌じゃない!!」と大書されているのにも感動した。

2月5日
 今度のフルートリサイタルの合わせは、チェンバロとのバッハ、ピアノとのフランスもの、山田耕筰と内容的に盛り沢山のうえに、マタイ受難曲を通すと云う長丁場であった。
 フルートの選曲に関しては、異例のことながら伴奏者である私がしたもので、要するに自分ができなかったものを実現してもらう企画である。温かくも格調高く演奏してくださるものと思っている。

2月3日
 予想通り陽性者数がピークアウトしてきたと思っていたら、検査をしない「みなし陽性者数」も算入されることになって数が激増してしまった。これでテレビ、新聞しか見ない人達がその数に怯えることになるのであろう。大多数の声に押されて再び不必要な緊急事態宣言を出すことになれば、社会全体が途轍もないダメージを被ることになる。

2月1日
 黒瀧山、観音岩、鷹ノ巣山の縦走。ヤセ尾根の「馬の背」が凍結していないか心配していたが、多少の残雪はあるものの、何の問題もなく渡ることができた。山の上に行くと意外な登山日和で、お弁当を広げているグループさえあった。われわれは、下山後、件の大衆食堂に直行し、冬季限定のすき焼き御膳を食した。甘みのある下仁田ネギを始め、全てが絶品で、とても大衆食堂で供される料理とは思えなかった。

1月28日
 これまで登山の記録、画像はFacebookに載せてきたが、見られない人のためにブログにも掲載することにした。手始めに今年初(1月4日)の画像を。

1月25日
 今日登ったのは物語山。その名はメルヘンチックなイメージを想起させるが、実は凄惨な物語。敗走の城主がこの山のメンベ岩に藤つたを頼りによじ登り、お宝を隠して、つたを切って、切腹して果てたと云う。この類の話は全国にあり、自分が住んでいる土地でも敗走の城主一族が悲惨な最期を遂げた話が残っている。
 前述の通り、お昼は山の上ではなく、下仁田駅近くの鍋屋と云う昭和風の食堂で、下仁田カツ丼を食べて感動した。カツ丼と言えば卵とじのイメージしかなかったが、薄い豚カツのみが甘じょっぱいタレを含ませて載っているだけの姿は、外見的には物足りない感があったとしても、絶妙な味わいがあった。冬季限定のメニューも勧められたので、是非また行きたい。

1月24日
 ボロボロになったマタイの総譜も最後の回まで何とか持つか、と思ったものの、ページがバラバラになって、貼り付けたとしてもめくりがうまくいかないと支障があるため、新品を買いなおした。ミニチュアスコアとは云っても、音楽之友社から出ていたベーレンライター版よりは一回り大きく、めくりも良好そうである。

1月22日
 尾身クローン云々の件についてはあまりに馬鹿馬鹿し過ぎてあまり触れたくない。またしても分科会の非科学的な見解があらゆる分野に悪影響を及ぼしている。
 まあ、驚くほどの感染者数(本当は陽性者数)に達してから自然にピークアウトするでしょう。抑制とか制限とかに全く関係なく。

1月20日
 バッハのマタイ受難曲を試演することになった。非公開であるが、何名かお聴きいただけるので、ご希望の方はお申込みください。マタイ受難曲試演会

1月19日
 父が、亡くなって半年にして初めて夢に出て来た。病室の父のところへ行くと、ベッドの隣りを空けて、ここへと顎で示された。具合はどう、と訊くと、良くはない、熱は何度で、と言うだけで終わってしまった。

1月17日
 御堂山は、ジジ岩、ババ岩等、奇岩の屹立する光景を見るために登ったと言っても過言ではない。本当に妙義山から南の地帯は、自然が生み出した不思議な風景を心行くまで堪能することが出来る。
 最近は寒い山中で冷たくなったご飯など食べたくもなく、午前中に下山して、そこらの食べ物屋で温かいものを楽しむようにしている。大抵、当たる。水と野菜が美味しいからであろうか。今日は山菜とかき揚の蕎麦、先週は神津牧場の牛乳とチーズを使ったメニュー。

1月15日
 丁度2年前、久々に筑波山に登り、何とかなったのは、その前から飲み始めたプロテイン、ビタミンA,B,C,D,E、ナイアシン、ベンフォチアミンの効果かと思った。これらは現在も続いており、最近は重曹とクエン酸も加わっている。ビタミン剤の効果について諸説あることは承知しているが、実際、口内炎が全くできなくなった、とか調子の良さは実感している。
 毎朝、寝床で行う体操も身体には良いのかも知れない。腰痛予防を主眼としたもので、この10年くらいはそう云った痛みと無縁でいることができている。

1月11日
 山に向かう車の中でNHK FMの「古楽の楽しみ」を聴く。BGMとしてなら聴いていられるが、自分で演奏したいとは全く思わない。どれも同じに聴こえ、つまりは「古楽」が好きでないことが分かった。「オペラ」もまた嫌いであるが。
 ミニ岩峰でも100mの鎖場があり、登っている時に空や下界が目に入ることがあって怖かった。一体、眼の前が岩だけであればそんなに恐怖は感じないが、空中であるような意識があると途端に怖くなるものである。この鎖場では、下りが全然怖く感じられなかった。上から見ると周りがそんなに切れ落ちていない、地面に幅があることが見渡せたからである。同じ場所でも見方を変えれば感じ方も変わるものだと思った。
 感じ方は人それぞれ、しかも同じ人間でも状況次第で全く変わってしまう。

1月10日
 暫く鳴りを潜めていたゴ身が再びしゃしゃり出てきて、相も変わらず人流抑制、会食の制限、ワクチン接種の必要性を説く。どれも感染の拡大とは実は何の関係もなかったことである。全く科学的見地に基づかない、言わばド素人的な対策の影響で、どれだけの人が殺されたか分からない。病床が極めて僅かな割合でしかコロナに使えない状況を、この2年間で何ら改めようとしなかった罪も大きい。わざとやっているのだろうけれども。兎に角、万死に値する人物だと思う。

1月8日
 わが街で最も古い、教科書も扱っている書店に久し振りに行くと、表の入口も裏のドアも開け放しで、ビュービュー風が吹きすさぶ外と同じであった。客は誰も居ない。自分が学生の頃までは、新しい情報を仕入れようと思ったら先ず本屋で、大変な賑わいだったものである。この店に行けば大抵、知っている人に会った。
 今時、「弔辞の事例集」などわざわざお金を出して買う人が居るだろうか。滅び行くものを目の当たりにして寂しくなった。そして勿論、私がやっているもの滅び行くものである。

1月6日
 マスクをしなければならないのもコロナが終わるまでだ、と考えている人が多い。残念ながらこれが終わることはない。風邪だからである。有史以来、風邪が絶滅したことはない。
 マスクの長期着用で懸念されるのは、マイクロプラスティックのような化学的微粒子が肺に蓄積して、アスベストのように癌を誘発しはしまいか、と云うことである。また、酸欠状態が癌を引き起こす要因であることは科学的に証明されている。風邪を恐れて癌は恐れず、とは莫迦な話ではないだろうか。

1月5日
 再び感染者(実は単なる陽性者。ウィルスは変異し続けているのに、従来通りの検査で何を検出しているのかも大いに疑問である)が増えてきているとかで、再びまんぼう、緊急事態宣言となっていくのであろう。厚労省の公式見解として、コロナはウィルス性の風邪の一種とされているのに、風邪が流行るだけで社会を崩壊させるような行為を繰り返すのは、この2年間で何も学ばなかったからではなく、意図的である。3回あの注射を接種すれば数万規模の死亡者が出る他、半病状態の者が一定数出て、医療や製薬業界はまた一儲けできる。

1月4日
 山初めに、名前がどうかと思ったが、シラケ山、烏帽子岳、天狗岩を登った。年末に登った人の記録をネットでチェックし、積雪がないことを確認していたにもかかわらず、行ってみると、多分正月に降ったであろう雪がうっすらとあった。それでも車は冬タイヤ、また軽アイゼンを用意していたので、慌てることはなかった。
 好天であったものの、途中で新潟方面から真っ黒い雲がやって来て、お天気雪を降らせたので驚いた。さらさらの粉雪で、凍結はしなかった。それにしても、関東で吹き荒れた冷たい強風の元をこの目で見たように思った。
 天狗の岩洞(おこもり岩)と呼ばれる洞窟では、逆さツララと云うものを初めて見た。天井から滴る水滴が地面で凍ったもので、ガラス細工か何かかと思った。

1月3日
 今年1年分の演奏プログラムを通して弾いて俯瞰している。本番近くなってくると余裕が無くなって直近のものしか取り組めなくなってくるから、正月ならではの楽しみである。
 山も演奏会と同じように、標高、気候、花などを含む景色、ヒルが出る時期等々を吟味して年間計画を立てている。尤もこちらは雨が降ったら駄目なので、実際の数は減るものと思っている。

2022年

12月31日
 全てがパソコンやスマホ上で事足りるようになって久しい。プロの演奏家でさえ、YouTubeで勉強した、と公言して憚らない。自分もYouTubeにアップはしているが、あくまで本当の演奏の代替手段の積りである。本当の演奏を体験すると云うことは、絵を勉強するのに絵を観るように、不可欠なものであると思う。自分も尊敬する音楽家の演奏を聴く機会を逃さないようにしたきたし、そこで動けなくなってしまうくらいに感動した体験が30年以上経っても自分の糧となり続けているように思う。

12月28日
 今年最後の登山は、鹿岳(かなだけ)と四ツ又山であった。今年は120ほどの山に登ったことになる。今日の山はふたコブと4コブから成っていたので、6つの小さな山を登り下りしたことになり、寒さもあってかなり消耗した。
 下山後、南牧村のおじさんが家に招き入れてくださり、四ツ又山の石像が御嶽山信仰のために木曽の御嶽山を向いていること、村の家々には漉いた紙を干す柵のようなものがあること、鹿岳の木梯子の整備は自分たちがしていたこと等、色々教えてくださった。「切り干し〇〇は知っているか」と仰るので、「切り干し大根ですか」と言うと、干し芋を出して来て下さった。「これは作ったのですか」と訊くと、「いや、買って来たんだ」と仰る。本当のところ、酔っぱらっていらしたので、話が分からないところもあった。鹿岳の整備は、高齢化のために止めてしまった、南牧村の役場に、良い山だから整備してくれ、と要望を出してくれ、と言われたので是非そうしようと思う。

12月25日
 毎年のように弾いているバッハのイタリア協奏曲を録画しようとしたが、一寸やって断念した。ああいう細かい曲は、指に不具合があるとちょろっとしたミスが出てしまい、とてもノーミスで弾き通せない、と判断したからである。それでも、去年まで到底できなかったトリルが辛うじてできるようになったり、指の改善は見られるので、いずれは出来るのかも知れない。

12月22日
 YouTubeのMariaさんのファンで、彼女の登山動画では山よりはその人を見てしまう。美人で運動神経抜群、頭脳明晰で自分の信念からぶれることのない、非の打ちどころのない人である。女性だけれども決して媚びることなく、ものを食べる時も「おいしい」などと滅多に言わず、黙々と食べている。彼女の動画がアップされた当日にアクセスが1万以上あったのには驚いた。
 不肖私もチャンネルYasuhiro YamadaでYouTuberをやっているが、アクセスが1桁、2桁と云うレベルである。逆境にある人を励ますことを主目的として、短い演奏動画を上げている。

12月21日
 荒船山の登山口は、群馬県下仁田から長野県佐久市に数十メートルばかり入ったところにあるので、初の長野県登山と云うことになるのかも知れない。巨艦を思わせる山体の特徴は、高さ百メートル以上の切れ立った絶壁で、下から見ると実に壮観である。しかしここを登る訳ではなく、横の普通の登山道を辿ることになるので、特別厳しいことは無い。頂上台地に達すると、勿論平らで広大な公園と云った感じで、ここが山の上であることも忘れてしまいそうになるが、絶壁に近づくと浅間山等の遠景、国道をはるか下に眺める近景、そこに映る台形の山の影を同時に見ると、ここが特殊な山であることが認識される。崖下を覗こうとすることは厳禁である。クレヨンしんちゃんの作者も、多分そのようにして亡くなったのであろう。

12月20日
 今年の超過死亡がおよそ10万人だとすると、日本の場合、1000人に1人。周囲の人が何人か亡くなった、と云うような感覚であろう。これが10人に1人とかなると流石におかしいと思うのではないか。
 地球上の人口削減を画策した人間は、われわれにとっては殺人鬼であるが、後世では偉人扱いとなるのかも知れない。

12月19日
 尾身クローン・ウィルスが発見された、などと言って怖がっている人が意外と多い。これほどまでに弱毒化したものでも恐怖を煽ることができるのは、驚きである。新型と称し続けてもう2年、そろそろ新しいネタを出すのではないだろうか。
 これだけ救急車の出動が多いのに、報道で扱われることがない。意図的に伏せられているのであろう。これだけコロナ陽性者数が減っているのに、コロナで運ばれている、と思っている人さえ居る。今年の人口動態を確認すると震災の年の何倍もの人が余計に亡くなっていることが分かり、今年何が行われたかを思えば原因は明らかである。

12月18日
 Windowsが11にしろと言うので、どうせ遅かれ早かれそうなるものであるから従ったところ、案の定使えないソフトが出てきて難儀している。まずメールの送受信ができなくなった。何とかメールと云う11搭載のものでできるようにはなったが、使い慣れなくて不便この上ない。このホームページソフトは使えそうなので、暫くはこのまま続けられそうだ。

12月14日
 昨日が風の冷たい寒い日であったので、天気予報や登山者の情報を検討し、凍結でもしていると大変と思い、当初予定の裏妙義をもっと難易度の低い山に変更して、そこに向かっていた。高速を走っているうちに妙義山の威容が目に入り、実際の気温を確認すると思ったほど寒くなかったため、急遽予定を再変更して裏妙義に進路を変えた。実際、ほぼ無風、小春日和の陽気で、空気も澄んで、雪化粧した浅間山が富士山に匹敵する美しさで眺められた。奇景、丁須の頭には、基部まで登ったのみで、上部まではとても登る気になれなかった。それは完全にクライミングの世界である。

12月12日
 登頂した山が160を超えたこともあって、自分なりの百乃至五十名山を選出してみようかと思った。二度は行きたくない山を削るのは簡単であった。そのうちに、この山は入れてこの山は外す、と云うのが大変苦痛になってきた。ましてや百とか切りの良い数に揃えると云うのは至難の業と思え、止めてしまった。その時々の気象条件でも大きく左右される訳で、公平な判断は不可能に近い。
 断トツのベストだけは決まっている。中倉山である。外見的にはどれがそれか分からない位に冴えないが、そこに行って見える景色は圧巻である。足尾銅山の煙害で荒廃してしまった部分が却って迫力を増している。全てが枯れてしまった中でただ一本残ったブナの木も感動的である。この素晴らしい尾根道を通って、隣りの沢入山にも行こうとしたが凄まじい強風のため断念し、また秋にでも再訪したいと思っていたが、他に登る山が幾らでもあるため、未だ実現できずにいる。

12月11日
 昨日、重い方のチェンバロを車に載せる、会場に搬入する、調律、演奏する、搬出する、車から降ろして元通りに設置する、を久し振りにやったら筋肉痛になった。登山で鍛えているから大丈夫かと思いきや、また違う筋肉を使うようだ。

12月8日
 先のショパンコンクールは、演奏も結果も何ら興味が無く、断片的に見聞きした限りでは、強烈な違和感を感じていた。それと全く同じことを審査員の一人がインタヴューで語っておられるのを見て驚いた。勿論、審査員に色々な意見が存在していることにも言及している。

12月7日
 夫婦忘年会としてぴのんで食事、宿泊。その前後は登山で、実質、登山合宿であった。宿泊日が決まっていると、余程の悪天候が予想される以外はキャンセルし難い。濃霧の中の小野子三山縦走は、修行のようであった。十二ヶ岳山頂では関東の殆どの山々が見渡せる筈であったが、何も見えない。行程の終わり頃、少しばかり霧が薄くなったかと思うと、東山魁夷をもっとぼかした感じの山並みが見えた。
 二日目の鏡台山や榛名天狗山の山頂では一瞬だけ霧が晴れて絶景を堪能することができた。榛名山の中でもピカイチかと思う。

12月3日
 演奏家が公開の演奏会に報酬を受けて出演したら、主催者によってそれが録音、録画されようとも、それらが公開されようとも不服は言えない、と云うのが私の感覚。勿論、ライヴの演奏がセッションでの録音のように完璧無比に出来る筈もないので、内心嫌だと思っても、仕方がないと思っている。それが、非公開ではなく、公開で演奏すると云うことであって、改めて世間への公開の許可を求めると云うのは不要であると思う。世間や業界の常識とは異なるかも知れないが。

11月30日
 そう云えば雲取山山頂でのこと。登山道を鹿の角をつけた帽子を被った人が登ってくるな、と思ったら鹿の顔までついていた。胴体が現れるまで、本物の雄鹿だと思わなかった。

11月29日
 夜明け前から雲取山に登った。途中の七ツ石小屋では、日帰りで登る人はトレランみたいな人ばかりだ、とお聞きし、成程、大勢に抜かされる訳だと思った。結局、9時間以上かけて日没前に下山できた。
 登っている途中の尾根道から光り放つ富士山を眺められ、大変感動した。それは、七ツ山や雲取山山頂でも同様で、これらの山が人気があるのも頷ける。
 今日も語録に残すべき家内の言葉が出た。「うちから見える富士山より大きく見えるけど、何故?」一応、ここは山梨県でもあるのだが。

11月22日
 当方で行っているピアノコンサートは、完全に演奏者の自己満足のためである。ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンのソナタを大体、番号順に取り上げている。モーツァルトは終わり近くになってきて、ベートーヴェンは半分くらいに達しようかというところである。
 27日はベートーヴェンの幻想風ソナタ2曲を弾く。幻想的と云えば、誰しも霧の中の曖昧模糊とした風景などを想像し、月光ソナタとも称される2曲目の第1楽章がそれに近いイメージであると思う。しかし、作曲者が幻想的と捉えるのは主に形式的なことから自由、と云うことかと思う。これらのソナタの中では「月光ソナタ」の終楽章のみがソナタ形式を採用しているが、些か風変わりな調性関係である。

11月20日
 名ホールである上野学園の石橋メモリアルホールが売却され、パイプオルガンが解体されると云うので、保存を求める署名活動が行われている。趣旨や気持ちは十分理解できるが、あれだけ古い楽器になると大規模オーバーホールを含むメンテナンスに新品を購入するに匹敵する程の費用がかかると思われる。それを考えると、金は出さないが口を出す、と云うことも如何なものかと思う。残念ながら、結局はカザルスホールと似たような運命を辿ることになるのではあるまいか。

11月17日
 妙義山の登山口は妙義神社内にある。神社自体に興味や期待はなかったが、杉の巨木の根により波打つように歪んだ石段、苔むして江戸時代以前からあると思われる石灯籠、恐ろしく巨大で立派な石垣等、大変感銘を受けた。しかも、出来るだけ昔のままの姿を保とうとする方針だそうで、危険と思われるところにも手すりや柵が設置されていない。

11月12日
 那須岳に登る度に偶然お見かけしていた山岳整備の方、ワクチン接種後、経験したことのない体調不良が続いているとのこと、心配していたようになってしまった。勿論、注射しても何ともない方も多いが、演奏家仲間で寝たきり、網膜剥離になってしまった人も出ている。こうしたケースは、これから益々増えていくと思う。
 先日、我が家でマスクを猫のおもちゃにしているところをネット上に投稿したところ不評、反マスクの集まりでは大好評であった。コロナ患者の100%がマスクを着用していたことでも明らかなように、マスクに感染を防止する効果は無い。日本ではこれを着けてさえいればコロナにならない、と云う信仰があるが、こうした神聖なものを冒涜したかのように思われたのであろう。

11月10日
 今日は夕方から仕事があったので、それまでに確実に帰れるところとして、赤城山の鈴ヶ岳、鍬柄山等を登った。家から登山口まで丁度2時間であった。(そう云えば、中禅寺湖までも全く同じ所要時間)
 もうすっかり紅葉は終わっていたが、冬山の趣も良いものである。今日は寒くもなく、風も凍結もなくて登山日和であった。

11月8日
 登山をしていて困ったことに、普段の散歩が大嫌いになってしまった。山はほぼ毎回、未知のところへ行くので、ルートも風景も全て新鮮、翻って全てを知り尽くしたところの散歩が耐え難くなってしまったのである。買うものがあって出掛けるか、今日のように殆ど知らないところへ行くのはまずまず楽しい。

11月4日
 もう実演を聴くことができない方からご要望いただいたので、試しにアップしてみた。酷い音である。もう少しはまともなものにしていかねば。
 J.S.バッハ:イエス十字架につけられたまいし時 BWV621
 J.S.バッハ:おお人よ、汝の罪の大いなるを嘆け BWV622
 J.S.バッハ:人みな死すべき定め BWV643

11月2日
 男鹿の名峰、日留賀岳に登る。前泊はホテルニュー塩原のすぐ隣りの宿で、素泊まり、勿論温泉付きで二人合わせても¥4,500で済んだ。昼は外食で豪勢な天ぷらそばを鱈腹食べたので、夜はコンビニめしをホテルの部屋で。夕食をやっている店が殆ど無いのである。
 夜明け前に農家の小山さん宅に着き、車を停めさせてもらい、登山者名簿に記帳して、庭の登山口から入山した。
 ガイドブックによると、ハイキング気分では10時間かかる、とあったが、何時もハイキング気分なので、本当に9時間以上かかった。山頂の眺望は本当に素晴らしく、那須、会津、高原山方面が一望できた。すぐ近くにかの有名な幻の道、塩那道路も見えた。自分が生まれた年に着工したものの、開通を迎えることなく断念されたいわくつきの道路で、崩壊するままになっている。その形状から、山の切腹とも揶揄されている。その経緯は、何となくリニアモーターカーを連想させた。
 素晴らしい山域を独り占めし、日光と違って紅葉も思いがけなく堪能して下山すると、名簿により、やはり今日はわれわれ夫婦のみと確認された。

10月31日
 自宅から歩いて行ける住宅街のど真ん中に普通の住宅の姿をしたうどん屋がある。いつも行列ができているのに恐れをなし、予約のテイクアウトをしてみたところ結構美味しかった。ところが、実際に店舗で食べてみるとこれまた雲泥の差であった。音楽で言えばテイクアウトは録音、実店舗はライヴではあるまいかと思う。さわ屋

10月29日
 中学の頃、映画、小説ともに流行ったのが横溝正史であった。改めて市川崑監督のものを幾つか観ると、あの年代における地方の独特な雰囲気が良く出ているが、どれも同じ様と言えば言えるような気がしてきた。意外な女性が殺人の犯人であることが多く、それにしては非力な女性が容易に人を絞殺したり死体を移動させるのは不可能であろう、と思うと、何だか興覚めしてしまう。

10月26日
 雨が何時降り止むのか分からなかったので、昼食後に登れる近場の山に行った。
 桐生の吾妻山は、適度な岩場もあって登り甲斐があり、山頂からは東京はおろか武蔵小杉まで見渡すことができて大満足であった。そこは、地元の方々の溜まり場になっている感もあった。今年の夏は2回、ヘリで熱中症の方が運ばれ亡くなった、と云う話をお聞きした。真夏の低山の過酷さは、去年痛感している。
 今年の冬は、この辺りの低山を巡ることになるかも知れない。

10月24日
 こともあろうに本番の前後に「ゴジラ対ヘドラ」と「ゴジラ対モスラ」を観てしまった。前者は子供の時に映画館に行って観たもので、50年を経てどのように映るのか興味があった。後者は自分が生まれた年に公開されたものなのでリアルタイムで観てはいないが、とりわけザ・ピーナッツが歌う「モスラーや、モスラ」が強烈な印象を与えるもので、今聴いても素晴らしい歌唱だと思った。

10月21日
 ルノーに乗っている。車ではなく、折りたたみ自転車。リユース品を安価で購入したものであるが、その後、タイヤを替えたり、色々修理があって、結局高くついてしまったのかも知れない。立ち漕ぎ困難で、遠くに行くには適さないけれども、おもちゃを操っているような面白さがある。
 中古の電子楽器を探している方がおり、今はヤフオク等でかなりの出物を知ることができる半面、中身のことまではなかなか分からないので、慎重に検討しないと大変なことになりかねないと思う。

10月18日
 多分今年最後の日光。中禅寺湖の南岸にある狸山、半月山、中禅寺山、社山を縦走した。
 兎に角、寒いの一言。立派な霜柱が立っていたので0℃に近かったと思う。
 今年は天候のせいか、紅葉がまばらで、「いつもは八丁出島が真っ赤になるのに、がっかりした」と仰る方がいらした。
 一般に知られているとは言い難い社山が地元の方には大人気で、多くの登山客とすれ違った。「こんにちは」と言っても、顔を背けて手で口を覆う人物も一定数居て、愉快には感じられない。「仲が良くていいねえ」などと気さくに話してくださる方も勿論いらっしゃるが。
 われわれが社山の頂上に着いた時には濃い霧に覆われ、何も見えなかった。後から登って来た方などは、風景の撮影のためにいらしたのに、眺望ゼロでお気の毒であった。白根山、皇海山等が素晴らしく見える筈の、登山家の間では有名な山なのだそうである。

10月17日
 リリアに向かう途中、寒いからかつ丼でも食べたい、と家内が言うので、かつやと云うチェーン店に入ってみた。大体、オレンジ色の看板の店は忌み嫌っていて入ることはまず無く、ほぼ初体験である。同類の店に、吉野家、松屋等がある。
 タルタルソースを鳥カツ、唐揚げに載せた丼に目が行き、つい頼んでしまったが、食べてみると別にタルタルソースでなくてもよかった。それよりも、こんな寒い日でも店内が冷房ガンガンで、ちっとも温まらなかった。おじさんが集う店にありがちなことである。

10月13日
 夢を持っていますか、夢と言って大きすぎるとしたら希望でもよいです、来月はこれをやりたいと言うようなことがありますか、と問われて考えてみると、〇〇山に登りたい、とは思っても音楽活動的には絶望しかない。
 注射をし、マスクをつけてしか演奏できないのであるならしないほうがましである。演奏の需要がなくなったら辞めるつもりでいる。演奏会に追われて練習し続けるより、独りで楽しんでいた方が幸せかも知れない。

10月10日
 先月登った谷川岳西黒尾根が日本三大急登の一つであることは後から知った。われわれ夫婦の感じだといたって普通、下りで行った天神尾根、田尻尾根のほうが長くて辛く、退屈な感じがして、西黒尾根で下った方が良かった、と話していた。
 道が無いほうが余程辛いものである。先週、奥鬼怒に向かう途中に夫婦山、月山があり、前者などは標準タイム往復1時間と聞いていたから気楽な気持ちで登ると、GPSを使っていても殆ど道が見つからず、藪を掻き分けつつの登り下り、3時間近くかかってしまった。それだけでタイムオーヴァーであるが、月山に向かうトンネルが崩落の危険があるため通行止めと書いてあったため、言うまでもなく取り止めにした。
 帰宅後、ネットを見てみると、夫婦山について誰一人文句言うことなく喜々として登っており、トンネルも歩いて月山にも登っていたので非常に驚いた。

10月9日
 或るコミュニティで、ヘンデルは音楽の母と書いてあるので、結構長い間女性だと思っていたと云う話題があり、自分もその口であった。これは日本的音楽史のみで使われる呼称で、他の国では通用しないと云う。
 私だけだと思うが、ロッシーニをロッシー2だと思っていた。二世か何かの。バリトンをバトリンと呼ぶ等、間抜けなこと枚挙に暇がない。
 今月演奏するHamburger Sonateも何でハンバーガーソナタなのか疑問に思っていたが、ハンブルクで作られたソナタと云う意味なので、ハンバーグの故郷と関連はあったと云うことになる。

10月5日
 性懲りもなく駐車場から2時間山道を登らなければ到達しない宿、日光澤温泉に宿泊した。露天2種を含む硫黄泉を堪能、食事も山小屋ではこれ以上考えられないほど、豪勢なものであった。翌日、2時間半をかけて日本一高所の湿原、鬼怒沼まで登った。尾瀬よりは小ぶりと思われるが、絶景を独り占めできるのが良い。近くの鬼怒沼山にも登ったが、山頂が木々に囲まれ眺望ゼロ、3人も立てば満員になってしまう狭さで、早々に下山した。4時間半ほどの長丁場のところ、中間地点である日光澤温泉で宿から頂いたおにぎり弁当を食べることができ、良い休憩になった。

10月1日
 古典的ホラー映画「エクソシスト」を観た。小学生の時からその存在を知ってはいたが、怖くて観られなかったものである。50年近くも昔の映画であるのに、あまり古臭い感じはしなかったのに驚いた。あの有名な首が廻るシーンとかポルターガイスト的現象は、面白く観こそすれ、怖いとは全く感じられなかった。

9月30日
 歯科の受付で、「コロナワクチンを接種される予定はありますか」といきなり訊かれ、「ないです」と答えた。「それでは診療しかねます」とでも言われるかと思い身構えたが、「分かりました」の一言で落着。次回の予約も取れた。
 それにしても、人が立つ度にその場所を消毒、患者にドアノブも触らせない、お金も直接受け取らないコロナ脳ぶりにはほとほと嫌になる。

9月28日
 日光男体山の北側に位置する山王帽子山、小太郎山、太郎山を縦走した。帰りの林道歩きがほとほと嫌になってしまうことが分かっていたので、予め下山口に折りたたみ自転車をセットしてから光徳牧場に移動、登山を開始した。小太郎から太郎山への狭い尾根歩きは、なかなか高度感のある岩登りもあって楽しめた。この二つの山頂での眺めは抜群に良かったが、他に誰一人居なかった。有名な男体山や白根山とは大違いである。知名度の違いの他に、アプローチが長すぎる、と云う嫌いがあるのではないだろうか。

9月26日
 長男が長い休みの度に走る合宿に行っていることは知っていた。てっきり高校陸上部とか走る仲間が集まってのものと思っていたが、全く一人で菅平等の高原のペンションに泊まって走っているのだと聞いて驚いた。今日などは凄い寒さと雨とで、早めに練習を切り上げて帰って来たと云う。高地での9月は冬であると心得るべきである。

9月23日
 自宅近辺でダニに刺され、数日間痒かったので、登山の救急用品にあるポイズンリムーヴァーを初めて使ってみた。傷穴から液体が吸い出され、痒みが全くなくなった。もっと早く使えばよかった。赤く吸引跡が残るのが難点であるが、1日くらいで大分消えるのではないだろうか。

9月21日
 本番前なので軽めの登山にした。先週の谷川岳9時間の後は4日間も筋肉痛であった。
 霧降高原の駐車場からでも眺めは良いのに、1445段の木製階段を上がっていくと、益々絶景が楽しめ、小丸山山頂に達する。ここから赤薙山に登って行く途中も森に入るまでは、山の切れ落ちた深みも眺めながらで飽きることがなかった。隣の丸山にも登り、もう十分景色を堪能できた。
 赤薙山山頂では、そこから縦走も可能な女峰山を眺め、登りたいものだと思ったが、10時間以上を要するような距離なので、日が短くなるこれからの季節ではちょっと難しいかも知れない。

9月20日
 登山の駐車場で高級車をまず見たことがない。自分が乗っているのも最も安い軽自動車である。それでも乗り心地、車内の広さ等、ベンツと大差ないように思われる。尤も、山道の登りでは多くの車に追い越されるが。兎に角、自分たちにとっては乗っているだけで山まで連れて行ってくれる魔法の箱である。折りたたみ自転車2台を積むこともできる。

9月18日
 今度のリサイタルの曲目は、どれも味わい深いもので、それがうまく表現できるのかどうかは分からないが、楽しみにしている。
 ベートーヴェンはクセの強い作曲家で好き嫌いが分かれるものである。ゲストのヴァイオリン奏者の早稲田桜子さんもお嫌いな方で、「(青年期の屈託のない音楽だけに)絶対楽しいから」と言って説き伏せた。合わせをしてみると、案の定そのような感じであった。

9月15日
 以前から残念に感じる言葉に、「コロナが落ち着いたら〇〇しましょう」がある。言った方が想像しているような落ち着き、または収束がやって来ることは無いのである。この秋冬に重症化、悪くすれば亡くなる方が出るようになり、それに対する新たな注射と云う悪循環が生まれ、終わることがない。とすれば、今のうちから出来るだけ普段通りの生活、活動をしたほうが良いのである。いずれそれも不可能になってしまうかも知れないが、その時はまた考えればよい。

9月14日
 谷川岳には前々から登る計画を立てていたが、何度天候不良のために延期しなければならなかったことか。今日は曇天ながら雨は大丈夫そうなので決行した。
 ロープウェイを使わず、西黒尾根から登ると、登頂までに5時間近くを要した。眺望はほぼゼロ。後学のためにロープウェイ駅のあたりまで行ってみると結構な距離で、子供も登頂するにしては大変だと思った。下山もロープウェイを使わず、田尻尾根から下りたところ、これまた意外に時間がかかった。トータル9時間近くの山行であった。

9月10日
 巨大宗教団体は、実は大手広告会社が運営していると云う都市伝説のような噂を耳にしたことはあった。壮大なコロナ詐欺、マスク、ワクチンキャンペーンもそうではないかと勘繰っていたところ、分科会の尾身会長が「ねえねえ尾身さん」と称するインスタグラムを始めたと知り、あのご本人がそんな可愛い路線を思い付いて始める訳がないから、プロの広告会社の仕業であることが明らかになった。尾身と云えば、一部で英雄扱いする向きもあるようだが、国を破滅へと追いやる悪魔の使いのような人物であると確信している。

9月9日
 栃木百名山が頭に無い訳ではないが、誰がどのように選定したのか定かでないものには疑問も持たざるを得ない。この中で難しいとされる山は、高度よりは兎に角遠いのである。道がなかったりもする。ラスボスと目される山などは、最初から最後まで藪漕ぎの連続、山頂も藪の中、二度と行きたくない、との声があった。
 百リストアップされると、コンプリートしたいと思うのも人情である。無理をしてでもと云うことにもなりかねないが、これは危険を伴う。全てが名山と云う訳でもない、と割り切ることも必要かと思う。
 低山ばかりの筈である足利百名山も全登は困難を極めた、と聞いたことがある。大体、どの山かはっきりしない、道がない、周りが私有地でどこから入ったらよいのか分からない、と高山では無いような苦労があるそうである。

9月8日
 登山大嫌いな次男を伴って出掛けた。最初は私の後に従順について歩いていたものの、怒って我々の倍くらいのスピードで行ってしまい、朝日岳と隠居倉を登頂、三斗小屋温泉の大黒屋に着いていた。そう云えば、幼児の頃も清里の山の中で怒ってどこかに行こうとして、年を経ても変わらないものだと思った。
 帰りは雪混じりの土砂降りに会い、冷え切った身体を車の暖房で温めて、人心地を得た。
 写真は朝日岳山頂で追いついたところと、看板と扉が新調された大黒屋にて。
              
              

9月6日
 久し振りに記帳すると、長男から10万円振り込まれていた。またカードで靴でも買った分かと思い、よく見ると1桁多かった。そう言えば、貰った貯金を返す、などとモゴモゴ言っていたことがあった。気持ちだけで十分である。家賃や晩の食費も浮いていることだから良いか。

9月1日
 〇ろゆき氏と云うのが嫌いで嫌いで仕方ないのであるが、家人が大好きで、よくその喋る声が聞こえてきて閉口する。最近は、同氏が何と言った、とニュースになるくらいで、世間にとってのご意見番なのであろうか。ホームレスは死んだ方が良い、との発言で大炎上した人と同種の人間で、この調子で奔放な発言を続ければ、いずれ大問題となるかと思う。

8月30日
 子供のピアノレッスン、代講を何人分か担当している。急に男の先生に代わると緊張するのでは、と云う配慮から、家内との二人体制とした。
 2週目の今日、一人目の幼稚園生の年中の子の時には家内が用事で遅くなった。すると、「今日は一人なの?」とおばさんのように訊くので、面食らってしまった。この子はひらがなもカタカナも読み書きできるので、また驚いた。

8月27日
 登山の際、Yamapと云うアプリを使っている。山の地図、現在地、何時どこに着いたなどの行動詳細、歩いたスピードまで記録される。先日、自転車で下った部分などは、速度が標準の250%にも達した。
 大真名子山で出会った人は2人、小真名子山に至っては0人であった。Yamapには、近くで同じアプリを使っていた人も表示される。「やす」と云うペンネームの方がそうで、出会ったうちのお喋りをした方であった。筑波山から登山を始め、最近はコロナのため毎週のように山に行っている、と云うのが当方に似ていると思った。ヤマビルの聖地、大鳥屋山に夏季、知らずに行ってしまった時の体験談が凄まじかった。足に違和感を覚えて靴下を脱ぐとナメクジのようなのがびっしり貼り付いており、振るったところで取れない、無理にはがすと今度は血が止まらない、這う這うの体で車に戻ったと云う。リアルな恐怖体験であるので、泉鏡花「高野聖」の描写よりも真に迫る気がした。

8月25日
 男体山の北(裏)側の大真名子山と小真名子山は、前から登りたい山であった。
 4:30に家を出、7:00に駐車場、リサイクルショップで調達した折りたたみ自転車を押して舗装された坂道約5キロを登る。登山口である志津峠が駐車禁止になっているからである。同じことを考える人はいるもので、他にも自転車があった。ここからの登りは2時間以上急登続きで、頂上近くになると男体山裏側の絶景が見事に見えた。この山を下ると、今度は小真名子山。その名から油断していたが、存外の急登が続いた。頂上ではガスって何も見えなかった。下りのガレ場続きにはまた参った。白根山より長いのではないだろうか。やっと下り切ったと思ったら、石のゴロゴロした林道を延々歩くことになる。約8q。やっと自転車がとめてあるところに辿り着くと、今度ばかりは風を切る爽快さで、約30分乗っていたところが10分程度に体感された。

8月22日
 昨日、反増苦の会に投稿、1日で350を超える「いいね」を頂いた。どんな記事かと云うと、山は増苦民が少なくて清々しい、と云ったもので、登山中に会った米背負い上げの若者との写真を添えた。山では増苦無しで会話するのが普通である。
  
 今日は某所で開かれたマルシェに出没。オーガニック志向の方の集まりなので、増苦をしている人は少ない。反ワ苦チンのこともよく話題になった。

8月20日
 ヤマビル初体験
 霧降庵のおやじさんに登山口を訊いた時、「この先、ヒルがいっぱいいるよ」と言われ、そんな情報は得ていなかったためビビった。偶然連れになったおじさんと3人で並んで歩いていたところ、3人目のおじさんに多くつき、「これがヒル」と教えてもらって初めて見た。小さな尺取虫みたいで、家内は写真を撮ったり、私は塩をかけてみたりしているうちに沢山集まってきてしまった。それから気を付けてはいたが、下山後、かき氷でも食べようかという段になって、ズボンが血だらけになっていて「やられた」と思った。痛くも痒くもなく、全く気がつかなかった。蚊だって刺されるときにチクッとすることがあるが、まるで気づかれずに噛みついて血を凝固させない成分を出すとは、何たる生物かと思った。帰宅後、かさぶたのようになった血の跡を洗い流し、何時間も経て寝ようとしたところ、再び血が流れているので驚いた。今度は洗わず、周りを汚さないように大きな絆創膏を貼った。

8月17日
 相続の関係で古い戸籍までも初めて見る機会となり、大変興味深かった。曾祖父母には八男、五女いた。曾祖父母の父母の名を初めて知った。男系、女系合わせると実に色々なところにルーツがあるのだと思わされた。

8月15日
 接種先進国であるイスラエルでは死者や重症者が激増しており、その大部分は接種者であると云う。日本でも似たような状態になりつつあるが、イスラエルのペースから推測すると、11月か12月がピークになるかと思われる。しかも、色々な風邪の流行期とも重なるため、どれだけ悲惨なことになるか分からない。
 接種がほぼ100%のジブラルタルでも同じような状況であるため、未接種者が感染を拡げている、と云う仮説は完全に否定された。

8月14日
 日光白根の登山で最も驚いたことは最後の最後に起きた。
 選択した下山路が異様に長くて辛く、辟易としていた時、家族4名が下山しているのに出会った。子供が小さいし、軽装であるので、下から一寸上がってみたのかとも思った。話してみると、子供は小3の女の子と小1の男の子、われわれと同じ登山口から登り、白根までは行かないものの、前白根山、五色山を経て下山してきたと言う。しかも前日、赤城山(黒檜山)を登り、湯元でテント泊をしたと言う。子供たちは弱音も吐かず、下山後は走っていて、こんな健脚一家であれば白根も登れた筈と思った。

8月13日
 野々村真さんがコロナで重症と云う報道は、7月1日と21日にワ苦チンを接種したとご本人や奥様が言っていたと云う情報が、これから接種予定、と改竄されてしまったものである。彼の場合、典型的なADEの症状で、これから同じようなケースが多発していくものと思われる。そしてそれらはコロナ、または新しい型の病気のせいとされていくのである。

8月12日
 栃木は勿論、関東以北の最高峰である奥白根山(日光白根山)に登った。それも湯元温泉からのロングコースで、計10時間かかった。
 「奥」と称されるだけあって、簡単にその姿を拝むことは出来ない。2時間半以上、外山尾根を登り続けて、初めてその姿を現した時には見事に上半分が雲に隠れていた。前段である前白根山(写真中の禿山)を登頂した頃には大分雲が去りつつあり、白根の山頂に達した時には見事な快晴となった。写真は山頂付近の岩場にて。私の背後は男体山、その左手に今後登りたい大真名子山、小真名子山、女峰山、太郎山等が並ぶ。


8月9日
 父が家族の反対を押し切ってコロナワクチンを接種してからというもの、嘔吐が続き、腹水が溜まり、それが口から次から次へと溢れ出る状態となって亡くなった。癌等の持病が接種を切っ掛けとして急速に悪化した感がある。
 自分を含めて、一般に日本人男性は家族に感謝の言葉を伝えることが苦手である。それでも、死を目前にすると大抵が言えるようになると云うから驚きである。父もまた例外ではなかった。
 自分も父には「今まで有難う」と云う言葉を掛けたかったのであるが、そんなことを普段に言えば、死期が近いと思われるし、最後の面会時には既に危篤状態で、終に果たされなかった。
 実家での雑談で発した「栃木の山は登り尽くしたのか」が父の私に対する最後の言葉であった。

7月28日
 増苦に感染予防の効果があるとすれば、国民のほぼ100%が1年以上着けている以上、感染者が減っていなければいけない。
 国民の大半がワ苦チンを打てばコロナが終息する、と思っている人が意外に居て驚く。前述のように、打てば打つほど状況は悪化するのである。「感染拡大」「大流行」「蔓延」どの言葉を用いてもよい。

7月27日
 相変わらず、深夜の大病院は大混雑、そして東京の所謂感染者数(陽性者数)が2800以上の数。私の親がワ苦チン接種後、具合が悪くなったように、同じような人々が病院に殺到し、PCR検査をかければ多数の陽性者が出ることは当然である。
 逆説的であるが、接種が進めば多数の感染者が出ることは世界的な傾向である。例えば、国民の84%が接種しているイスラエルでは、新規感染者の84%が既に接種した人であると云う。接種した人がADE(抗体依存性感染増強)をおこしている可能性も否定できない。変異株等のウィルスにさらされると重症化してしまう現象である。

7月24日
 医療は、人を助けることがあったとしても、それ以上に病気にし、殺していると思う。これにのみ頼り切る人は、死ぬまで有害な検査や薬を止めることが無い。

7月21日
 三斗小屋温泉の大黒屋では驚くことがあまりに多く、箇条書きのように列記したい。
 建物は明治2年築。前の建物は前年の戊辰戦争で焼失。150年を超えて現役。
 電気、水道等通っていない。携帯も圏外、部屋にはテレビやコンセントなし。
 自家発電の電灯はあるが、9時に消灯。あとは灯油ランプ。
 玄関前に名水出放題。これで料理もすれば何でも美味しい。
 網戸はなく、障子のみ。雨戸には一部ガラスが張ってある。
 涼しく、蚊が全くいない。
 食材等、背負って2時間登山で運んでいる。
 ガスは年2回、ヘリコプターで運んでいるが、去年はコロナのため、背負って運んだ。
 帰り道、米30sを背負ったスタッフと出会ったが、登りの後なのに汗一つかいていなかった。
 冬期は休業しているが、2週に1回、スタッフが雪下ろしに来ると云う。先ず玄関を掘り出すところから。

7月20日
 今回の登山合宿では、那須岳5峰を登った。
 峠の茶屋駐車場に車をとめると、家内がリュックの他に泊まるための物一式を別のバッグに用意していたことが分かった。これから3つの山を登ってそのまま投宿し、車に戻ることはない、と云うのをよく分かっていなかったようだ。そこは電気も水道も通っていない、携帯も圏外と言うと、「お風呂もないかも知れない」と言う。温泉旅館だと言っているのに。
 先ず、朝日岳を登った。本来は360度の眺望がある筈であったが、雲の中となり何も見えない。それから清水平という湿原を経て三本槍岳。すれ違った団体が「大宮高等学校 山岳部」のTシャツを着ていたので、訊ねると「埼玉県の」と言う。私もそこのOBである。尤も、当時は山岳部の存在は知っていたものの、何の興味もなかったが。
 この後、隠居倉と云う変わった名の那須岳一帯を俯瞰できる山を経て三斗小屋温泉の大黒屋に向かった。(つづく)

7月18日
 バッハのカンタータBWV147の非公開試演会があった。合唱団員僅か十数人が費用を出し合い、ヴァイオリン奏者、オーボエ奏者、チェロ奏者、オルガン奏者、アルトソリストのみを依頼し、ソリストの大半はアマチュア、オーボエはトランペットパートも、第2ヴァイオリン、ヴィオラのパートはオルガンで弾くと云う特異なかたちでの演奏であった。カンタータの第1部と第2部の間では本来、説教が行われたが、今回は合唱団員の一人が当該の聖書個所を味わい深く朗読してくださった。

7月15日
 近しい人が例の注射を2回受けた後、嘔吐する等、具合が悪くなり、一旦は回復、1,2週間すると持病が悪化して大病院の夜間外来に行くと、昼間のように大混雑していたと云う。救急車はひっきりなしにやって来て、修羅場と化しているらしい。
 繰り返し言っているように、例の注射はコロナを防がないばかりか深刻な健康被害をもたらす。赤血球はいびつに変形し、当然血栓化しやすくなり、免疫異常の状態となるため、色々な病気に対処できなくなる。当面は大丈夫であっても、この先何が起こるかは全く分からない。

7月14日
 定期演奏会でM.レーガーのソナタを弾こうと思ったのには、その曲の気分になった他にも理由がある。一般に複雑怪奇とされるレーガーを私の師匠であるレールンドルファーは大変分かり易く、音楽的に演奏することを殆ど信条としていた。それを受け継ぐ者として、難解、長大なソナタを自分に出来得る限りのかたちで演奏してみたいと思ったのである。また、大きな編成のオケ等を指揮できない現在、それに代わった表現ができるかも知れない、とも思った。何しろ、一人で演奏するオーケストラであり、交響曲である。

7月11日
 幾つか事実を元にした映画を観た。先ずはFukushima 50。言わずと知れた福島原発事故を描いたもので、観るのも辛かったが、こうした形で記録を残しておくのも大事と思った。それから統合失調症を発症していたのにノーベル賞を受けた天才数学者の話、K2に初登頂したイタリアのパーティー内での汚い内幕話等。今日は、巨大サメもののくだらないのを観てしまった。

7月9日
 車に載っているグリュミオーとクララ・ハスキルによるモーツァルトのCDを驚嘆の念をもって聴いている。特に後者の絶妙なタッチ、音楽を完全に理解した上での正確さ、自分もこのように弾ければ、と思う。モーツァルトのソナタは、ピアノが主でヴァイオリンが従であるため、両者がそれを完全に心得ていないと音楽にならない。録音の関係で一寸ピアノの音が引っ込み気味なのが惜しい。

7月8日
 登った山のことは後で調べることもある。男体山の古事が分かりやすく面白かった。
 男体山は、古くはふだらくさん(補陀落山)と云うらくだのような名前であったが、勝道上人が初登頂してからふたらやま(二荒山)と云う音は引継ぎながらも恰好良い響きと漢字に改められた。その後、男体山と改められたが、山全体を祀っているのは相変わらず二荒山神社である。
 昔、男体山の神様(?)と赤城山の神様が大蛇と大ムカデの姿で争ったのが戦場ヶ原であると云う。私は、関ヶ原の如く、人の争いがあった場所かと思っていた。今もある赤池は、血だまりの場所であり、勝負が決したのが菖蒲ヶ原で、勝利の歌を歌ったのが歌ヶ浜であると云う。

7月6日
 武甲山、小持山、大持山の縦走。山の北側半分が削り取られ、ピラミッドのようになっている無惨な姿を見ると、複雑な気持ちにならざるを得ない。石灰岩、即ちコンクリートの恩恵を受けていない人など居ないのであるから皆同罪である。幸い、南面は杉の大木、滝の多い沢など、豊かな自然が残っていて、勿論、こちら側を登った。登りながら、高校に講演に来た武甲さんと云うおじさんのことを思い出していた。帰宅してから苗字も思い出した。清水武甲さんは写真家で、秩父の自然を残すのにも尽力された方である。昔の写真を見ると、本当に堂々とした素晴らしい山で、今との違いに唖然とする。どうやら南面は石灰岩があまりないようで、これからは北面の地底を掘ることになりそうである。

7月3日
 約1週間前、長男が出る陸上の大会を観に行った。アマチュアランナーの双子らが主催し、東京の競技場を借り切って、運営やスタッフは殆どヴォランティアで成り立っているものである。その心意気や実務能力に感動し、また、全部の競技でタイムキーパーを務めた上で、最後の競技で1位となった選手に驚愕した。続けざまに全部で30qは走ったであろうか。背も子供位で、それにしては身体能力が驚異的である。

7月1日
 バッハアカデミー定期演奏会のプログラム編成をほぼ終えた。プログラム もう37回にもなるのか。

6月29日
 昨日、志津峠から下山したのには理由があった。ここは男体山に隣接する山々の登山口にもなる場所であるが、どういう訳か駐車禁止措置が厳しくなり、林道を5q下ったところにしか駐車できないようになってしまった。登山の前後に往復10q、時間にして約3時間の歩行が余儀なくされるのである。これがどのような道であるのか、地図ではなく実地に確かめる必要があった。綺麗に舗装はされていたので、折りたたみ自転車の活用を検討することにした。尚、昨日はバス停まで歩いたので8q。単調な道が続き、歩きながら眠りそうになってしまった。

6月28日
 自分にとっての大きな本番も終わり、予想外に良い天気となったため、急遽、男体山に向け、早朝出発した。高速道路から威容が見える山を登ることは意外と稀なことである。素晴らしい天気で、男体山、大真名子山、女峰山が朝日を受けて輝いて見えたが、登っているうちにガスってきて風景は何も見えなくなってしまった。それでも山頂では一瞬の晴れ間に写真を撮ることができた。
 山頂でお会いした74歳のおじさんのことを書いておきたい。週2くらい登っていらして、外来種であるセイヨウタンポポを抜いたり、新しい山名板を制作設置したり、スーパーボランティアみたいな方だった。この方に、「57歳?これからいくらでも登れる。自分は65歳から本格的に登るようになった」と言っていただき、「男体山を登れたら、栃木県の全部の山を登れる」とのお墨付きを頂いた。

6月24日
 数日前からPCが「デバイスに問題がある」と言って再起動を繰り返すようになってしまった。色々と自分で対処を試みてはいるが、未だ完全ではない。このような時に義父の遺品PCを譲ってもらい、メールとFacebookはチェックできるようになった。このHPもPC不調の度に中断を余儀なくされていたが、今度はアップできるかも知れない。

6月21日
 本番前なので軽めの縦走を、と思っていたが、存外大変なのと暑さでかなり体力を消耗した。「五輪山」家内は、前のオリンピックの時にできたのではないか、と言うがそんなことはあるまい。「伊豆ヶ岳」長い鎖場にテンションが上がるも、もう終わり?と云う感じ。「古御岳」「高畑山」「中ノ沢ノ頭」眺望も皆無で特筆すべきことなし。「子の権現」足腰の神仏だそうで、巨大な草鞋と下駄を観た。二本の杉の巨木も有名であったが、1本は力尽き、残った方も瀕死の状態、大木にも寿命がある。

6月20日
 最も大事なアンサンブルと思っているピアノトリオが何時以来か分からない程久し振りにリハーサルを行った。メンバーの一人がモーツァルトの違う曲を準備していたので、彼は初見で弾くことになった。たまにこうした行き違いはあるもので、本番直前に歌のソリストが歌う曲を勘違いしていた、ということがあった。真っ青になったのは言うまでもないが、急いで譜読みして、本番は何事もなかったかのように演奏していたのは流石である。

6月15日
 住んでいる地域から富士山を除いては最もよく見える三角の山が気にならない筈はない。東秩父の笠山と、ついでにその隣りの天文台がある堂平山に登った。笠山山頂の眺望は良くないので、隣接する笹山が良い、とガイドブックにあったので、行こうとしたところ、私有地で立ち入り禁止となっていて驚いた。考えてみると、ヴォランティアで登山道を整備しても、登山者は一銭も払う訳ではないし、ゴミを捨てたりする輩も居るかも知れず、何の得にもならないようだ。
 もう一つ、思い出のある山に行こうとしたが、雷が鳴り始めたので早々に退散した。

6月14日
 コロナ脳の方とは今後、仕事をしたくない。

6月12日
 生徒の一人が、人のいない横断歩道で一時停止しなかった、と言って警察の取り締まりを受けたのは不当であると思い、警察に抗議した。ご本人と警察の間で改めて話し合いをすると、対象となったのは横断歩道から至近の「止まれ」の個所で、ご本人は、警察官が見ていることを確認したうえで、きちんと一時停止した、だからその先の横断歩道が問題になったのだと思った、と話された。結局、不当な決定は覆らなかったが、次のような教訓を得た。
 内容に不同意の場合、青切符に署名捺印してはならない。反則金も慌てて納めてはいけない。
 自分の無実はドライブレコーダー等によって証明しなければならない。
 略式ではなく、正式な裁判で無実を主張しなければならない。

 昔、バイク好きの友人が「無法ポリスと渡り合う本」と云うのを買ったことを思い出した。今も昔も事情は変わらないのである。

6月11日
 政府の五輪推進方針に英雄気取りで異を唱える尾身会長に世間も賛同の様子であるが、私は全く反対の印象を持っている。マスクを外した時に感染している、と云う素人のようなイメージだけを根拠として、時短等の対策が行われ、飲食や関連職種に甚大な被害をもたらしたのに、もうそんなことは念頭になく、五輪の注文、果ては皆が気が緩んで云々、1年以上前と同じことを並べ立てている。全く万死に値する重罪人である。

6月10日
 2月に根本山でお会いしたおじさんは、約1か月後、遺体で見つかった、とご家族から間接的にお聞きした。大変元気を貰える方だったので、話しながら、一緒に写真を撮ってもらいたい、とチラと思った程である。同時に、あまり道に詳しくはない様子だったので、悪い予感がしていたのも事実である。その気持ちを込めて「この先はかなり険しいですから、気をつけてください」と言ったところ、「お互いに気をつけましょう」と返してくださった。

6月8日
 結婚前だったか、未だ子供も居なかった頃、家内と私の両親、妹、私の計5人で赤城山の大沼に浮かぶ赤城神社までは行ったことがあった。その頃はその辺りの山を登るなど全く頭になかったが、今日は赤城山の最高峰、黒檜山とその隣りの駒ケ岳に登った。子供でも登れる初級の山と聞いていたが、最初から最後まで岩を急登するかたちとなり、意外ときつかった。人が沢山居る山だと、「撮りましょうか」と言ってくださる方がいらっしゃる。
           

6月7日
 直ちに病気になったり死んだりしなくても、長期的に見れば癌等を発症させる要因となるので、警鐘を鳴らし続けているのが増苦とワ苦珍に対してである。前者による酸欠が万病の元となることは論を待たない。感染を予防する効果も無いので、百害あって一利なしと言えよう。後者による免疫異常状態も、直ぐに不調が現れることの方が稀であろうが、今後、何らかのウィルス等に感染した時の反応が怖い。スパイクタンパクが細胞を傷つけ続けるであろうから、癌になる確率も高くなるのではあるまいか。大体、有効率90%以上と謳われて多くの方が受けに行っているが、普通考えるように、10人打った中で9人が罹らなかった、と云う意味ではない。発症した人の中の比率であって、打った群は打たなかった群より僅か0.7%低かったと云うことである。

6月1日
 秩父の二子山は、両神山よりずっと楽しかった。適度に腕も使った岩登りがあったほうがバランスが良いし、この山の高度感は半端でない。誰でも登れると聞いていた東岳でも1か所だけかなり怖いところがあり、ここで諦めて撤退した、と仰る方にもお会いした。西岳の上級者コースは、それこそ鎖も命綱も無い岩場で、最初から挑戦する積りなく、一般ルートで登った。それでも頂上では充分楽しめる。

5月31日
 自宅から約1q離れたところでボランティアの花壇管理をしていた。と言っても緩いもので、担当の区画では何を植えてよいというものであった。ここは日当たりが悪いせいもあってか、何をしても上手くいかなかった。種を蒔いたり、苗を植えたり、家のものを移植したりしたが、悉く失敗している。今度、この土地を県に返すとかで、潰される前に多少のものを家に移植した。去年植えたユリの球根もそうで、家の庭では早くも開花してきた。もう1球植えた筈であったが、影も形も無かった。モグラにでも食べられてしまったのであろう。

5月30日
 コロナ死亡者を解剖調査するな、と云うWHOの通達に逆らってロシアとドイツで何千体かを調べたところ、全てインフルエンザA型かB型で、コロナは1例も見つからなかったと云う。新型コロナと呼ばれる遺伝子配列とその検査法は、悪名高きドロステン教授とWHOによる捏造の可能性が高く、酷い風邪の症状があるとしたら、それは大抵インフルエンザであると言えよう。例年のインフルエンザがPCRによってコロナにカウントされているのである。PCRの説明書にも、インフルエンザを陽性としてしまう可能性が書かれている。
 インフルエンザは空気感染するので、ソーシャルディスタンシング、手指消毒、アクリル板、増苦等、何の意味もなかった。患者が居たとしたら、感染を防ぐことは不可能なのである。今の時期は下火と思われるが、何を検出しているのかまるで分からなくなっているPCRによってかなりの陽性者が出ているに過ぎない。

5月29日
 緊急事態宣言が延長されると云う。ずっとやっていれば、と思う。それが何時の間にか日常になるであろうから。
 IOCのバッハ会長は、選手に安心して来て欲しいと言ったり、何があっても自己責任という誓約書を書けだの、相変わらず滅茶苦茶である。作曲家のバッハにも失礼であるから、バッカ会長と云う読みにしていただきたい。
 アマチュアの選手に競技をさせてぼろ儲けと云うのも、おかしな話である。献血と称してただで集めた血液を高額で売買する行為にも似ている。

5月27日
 両神山の弘法之井戸と呼ばれる湧き水を汲めるだけ汲んで来て、お茶やコーヒーで飲んでいるが、味がよく出て美味しい。約20年前には2週に1回くらい、東秩父まで湧き水を汲みに行っていたことを思い出した。

5月26日
 とうとう国内でワ苦珍接種後の死亡が85例となった。厚労省の発表 いずれもワ苦珍が原因ではないと判定したい方向のようである。(製薬会社から多額の謝礼を受け取っている委員が大半であるから当然)
 接種してからどのくらいの期間で亡くなっているかの図は以下の通りである。


5月25日
 登山100座目は、埼玉県内の日本百名山である両神山。同じ県内でも、拙宅からは栃木のほうが行きやすく、秩父方面は敬遠していた。
 両神山は、ずっと登りっぱなし、歩行時間は8時間を超え、かなり疲れた。

5月23日
 バッハは、真面目でないと取り組めない、真面目なだけでは音楽にならない。難しいものだと思う。

5月21日
 最近は実地測量されないため、山の頂上の木々が伸び放題で、眺望が悪くなっている。一般に、苦労して登った結果として良い眺めを期待するのが人情ではないだろうか。せめて景色の良い方角だけでも伐採しては、と思う。下は鶏岳の例。男体山方面だけ伐採している。


5月20日
 ファイザーも認める「ワ苦珍接種者が感染性の粒子を放出する」ことの被害について、今迄は海外の例しか聞いていなかったが、今日は直接に2件の国内事例を聴くことができた。
 咳き込む接種者の近くに居たところ、次の日から頭痛と鼻出まくりが1週間続いた。また、接種者からおやつを与えられた猫は嗅覚がおかしくなって、そのおやつを受け付けなくなった。未だ治らない。
 医療従事者とそのお母さんが接種したところ、お母さんは慢性体調不良、息子さんが2日後発熱、PCR陽性。ご主人は風邪の症状、PCR結果待ち、娘さんは今のところ何でもない、とのこと。

5月19日
 一昨日の登山で99座目となった。運動を続ければ痩せるかと思いきや、却って太った。ふくらはぎ、太腿の筋肉量が増えたのは勿論のこと、腹廻りの脂肪も増えた。身体が必要としての何らかの変化だと捉えている。
 家内は、山のガイドブックを書けと言う。どこか山に登りたいと思っていながら、高尾山か筑波山しか思い付かない人のために、行き方、時間、用意したほうがよいもの等を懇切丁寧に。

5月17日
 今日は雨の予報だったので、明日の方が雨の確率は低いと言ったのだが、家内は今日行くと言うので、婦唱夫随で行ってみると好天で驚いた。自宅のあたりは降っていたようだが。
 勝道上人が日光開山の前に修行したと伝えられている笹目倉山、鶏鳴山等等を縦走した。殆どが杉林で、何処に行っても眺望は全く無かったが、それなりに良い山歩き(修行?)が出来た。

5月14日
 少し前に長男から家族全員に胃腸炎の風邪が伝播していったように、猫が一匹具合が良くなると、別のが悪くなり、と風邪が伝染している。こうして免疫を得ていくのであるから、仕方がない。

5月12日
 ワ苦珍を打って死亡したのが、海外では1万人近く、日本国内では39名になったそうである。高齢者に接種するようになったから、その数は急増するであろう。
 外でアゴ増苦をして歩いている人が、人とすれ違う時だけ鼻まで掛けることはよくあるが、今日は自分が車を運転していて、すれ違いの歩いている人がそれをやったのには驚愕した。人はここまで狂えるのかと思った。近しい人を見ていても、「コロナにならないためなら死んでもいい」と云う態度の人が居て、掛ける言葉が見つからない。これからは仕事や付き合いにおいても、コロナ脳やワ苦珍を打った方とは距離を置かねばならないかと暗澹たる気持ちで思っている。

5月11日
 高原山を縦走。7時間を超えて歩けたので、夏の行程にも耐えられるようになったかと思った。
 花暦を考慮して行ったものの、あまりの寒さで殆ど何も咲いていなくて大変残念であった。時期が合えば、壮大な花のトンネルの中を歩くことが出来たであろうに。
 今日は家内に先に行ってもらったところ、登りも下りもどうやっても追い付くことが出来ず、しかも差が広がるばかりであった。自分も必死になるので、タイムを縮めたい場合はこのスタイルが良い。

5月9日
 毎日、消防車が大音量で鐘を鳴らしながら「新型コロナ感染防止にご協力を」とアナウンスしまくり、当方で感染対策の換気のために窓を少し開けてコンサートを行っているところも直撃されるので、市長への意見と云うサイトに、騒音のこと、皆がこれ以上出来ない程に感染対策を行っている上にどうしろというのか、と云う旨を投稿したところ、ぱったりと来なくなった。静かになったのは喜ばしいが、たった一つのクレームめいた意見があれば全て取り止めると云うのは、日本の全ての活動にも通じることで、果たしてこれでよいのかと云う思いもある。

5月7日
 ワ苦珍接種者が周囲に及ぼす悪影響について主にアメリカで言われるようになった。クリスティーン・ノースラップ博士らの訴え 一説には、普通にコロナに罹った人より高濃度のウィルスを排出し続けると云う。これらが事実であるのか、日本ではどの程度起こり得るのか、気になるところである。

5月5日
 フェイクの殿堂、朝日新聞には、多くの人が信じ込まされている言説「新型コロナウィルスの流行拡大がなかなか止まらないのは、無症状の感染者が普通にしゃべるだけで、ウィルスを含む飛沫が飛び散ってしまうためだと考えられている」が大書されていた。誰がどんな根拠で言った言葉かと云えば、製薬会社から莫大な謝礼金を受け取っている御用学者が何の科学的エヴィデンスもなく殆ど思い付きで言ったものである。
 度重なる緊急事態宣言もその効果が検証されることなく、見当違いに乱発されている。飲食業の狙い撃ちも何ら科学的根拠に基づくものではない。その証拠に相当な期間、これを続けてきたが何の成果も見出せないではないか。それにも拘わらず、またこれを延長しようとしているのは、感染を抑えるためなどではなく、主に経済活動を破壊しようと云う意図に基づいている、と云う他ない。

5月2日
 渋沢栄一展はなかなか見応えがあった。大実業家であること位しか知らなかったが、近代日本の礎を作ったと言っても過言ではない超人的な働きに瞠目させられた。また、道徳なくして経済を発展させても社会や人のためにならない、と云う信念にも驚かされた。金の亡者ばかりの現代において斯様な人物は居るであろうか。

5月1日
 登山のため或る民宿を予約しようとした。口コミで、高齢のご夫妻のお人柄と料理が素晴らしいと言われていたからである。電話すると、ずっとやっていない、また数が増えてしまったし、秋頃からできるかどうか、と言われ、これは残念ながら一生出来ないと思った。このように偽パンデミックに怯えて、生きた活動を止めてしまう人が何と多い事か。

4月30日
 昨日のコンサートでは、ヴァイオリンを持ってマスクの着脱は大変と云うことで、数十年間黙って伴奏してきたお姉さんが喋ったところ大受けだった。このブログの調子で。

4月27日
 人出がどうのこうの言われているので、誰も行かないようなマイナーな山を選んだ。羽賀場山からお天気山への縦走である。前者の山頂は通過点のように地味、後者の方は日光方面の眺望が少しある程度で、色とりどりのツツジの花に彩られていた。男体山の雪は、この1週間で殆どなくなったように見えるが、日光白根山の方はまだまだ真っ白であった。

4月26日
 コロナの関係で5月の公演が飛んでしまった。常に本番に向けての練習を生活の軸としているところ、本番が終わった訳でもないのに急にこう云う事態になると調子が狂ってしまう。
 4月29日の本番は予定通りである。緊急事態宣言が出てキャンセルが続出するのでは、と思われたが、何故か今のところ1件も無い。

4月23日
 再び、政府やWHO等が主導する偽パンデミックのワ苦珍に就いて。
 接種後の死亡が10例となった。ファイザー社の元副社長の話では、動物実験に全て失敗しているにも拘わらず、それを人間に打ち始めてしまい、人間の場合は2年くらい生存できるのでは、と云うことである。(5年くらいと推測する学者もいる)今は治験段階であるため、プラセボも混じっているらしい。後で2群を比較するのであろう。まさに人体実験である。また、ワ苦珍の説明書には、感染を防止するものではない、と明記してある。決して「予防接種」とは呼ばない所以である。

4月21日
 トイレの排気口の表面が最近は汚れない、空気が篭る、とは思っていた。内部を掃除してみると、出るわ出るわで20年以上分の埃が出てきて、これでは空気が通らなくなる筈だと思った。そこで換気扇を購入して取り付けることにし、配線工事も行った。業者に頼むと数万は取られるところ、3000円で済んだ。

4月20日
 横根山、方塞山に続き、備前楯山に登った。一般に足尾銅山として知られた山であるが、備前の人が銅を発見したことに因んだ名前なのだそうである。その翌日、中倉山に登った。今迄100近くの山に登ってきたが、ここがベストであった。煙害で一本だけ残った「孤高のブナ」と呼ばれる木にも対面してきた。更に宿の方の勧めもあって隣りの山にも行こうとしたところ、尾根上だけ凄まじい風が吹き付け、眼鏡さえも吹き飛ばされそうな危険を感じたので泣く泣く撤退した。下山後、地元の方と話すと、四つん這いでも危うい程の強風が吹くことがあると云うので、無理しなくて正解であった。
 大分登ったので、頂上での眺望の良い山ベスト10を挙げてみよう。1位は先述の通り中倉山で、2位以下は順不同である。その時の天候にもよるし、個人的好みも反映されているのでご了承いただきたい。
 中倉山 備前楯山 一床山 岩櫃山 大黒岩(獅子岩) 熊鷹山 掃部ヶ岳 筑波山(女体山) 御嶽山(古賀志山の隣の) 天狗山 妙義山(大小山の隣の)
 *挙げてみたら11になったが、どれか削るのも忍びないのでベスト11とする。中倉山下山中に家内と相談したものが大半。登っている間はお喋りする余裕が無い。

4月18日
 先日の大橋先生の講演論旨は、簡単に言ってしまえば、新型コロナウィルスは未だに分離、同定されておらず、その存在が証明されていない。(存在しないことを証明することも殆ど不可能であるが)そのため、推測で検査の型が決められ、そのようなあやふやな検査によって多くの擬陽性者が生み出されている。ワクチンもまた、根拠を欠いたまま開発された謎の液体である、と云うこと。







2021年